◆放射能汚染との戦い
資料寫真:震災(zāi)直後の南相馬市
70歳になる小武海三郎さんは、南相馬市議會(huì)議員を28年間務(wù)めた人物だ。彼は31歳の頃から福島県の原発反対派としてその中核を擔(dān)ってきた。かつて、福島第二原子力発電所建設(shè)を反対するために、東京電力を相手に訴訟を起こしたこともあるほどだ。
小武海議員は、南相馬市の居殘り組だ。40名の會(huì)員からなる市民団體「フクシマの命と未來を放射能から守る會(huì)」を立ち上げ、昨年9月より毎月、市民らと結(jié)束し、反原発デモ行進(jìn)を行なっており、その人數(shù)は最多時(shí)には70人に達(dá)している。昨年12月には、市の中心部にある駐車場(chǎng)1カ所で採(cǎi)取した土壌を神戸大學(xué)に依頼し、その放射線計(jì)測(cè)を行なっている。その報(bào)告によると、1キログラム當(dāng)たり約108萬ベクレルの高濃度の放射性セシウムを検出している。この駐車場(chǎng)のある?yún)^(qū)域はかつて市內(nèi)の緊急時(shí)避難準(zhǔn)備區(qū)域(昨年9月解除)だったのだ。報(bào)告書では「高いレベルの汚染で、周辺に人を住まわせてよいとは到底考えられない」としている。
小武海議員は市を通じて同報(bào)告書の內(nèi)容を國(guó)に提言したが、いつまでたっても國(guó)からの回答はない。そこで、記者會(huì)見を開き、報(bào)告書の內(nèi)容を公開する手段を取らざるを得なくなった。また、市長(zhǎng)に除染作業(yè)を推進(jìn)していくよう要請(qǐng)している。小武海議員はこうした手段を以って、原発から半徑20~30キロメートル圏に暮らす同市の人々の窮狀を國(guó)民や行政にアピールしている。小武海議員は「南相馬市は強(qiáng)制避難地域ではないが、今もなお未知の危険が色濃く殘っている」と述べている。
昨年12月16日、野田佳彥內(nèi)閣総理大臣から、原子爐の「冷溫停止?fàn)顟B(tài)」の達(dá)成を完了した旨の発表があった。また、「発電所の事故そのものは収束に至ったと判斷される」と、事故収束を宣言している。これに対し、小武海議員は「我々の暮らしは一向に良くならないのに、何が収束だ」と怒りをあらわにしている。小武海議員が今一番気がかりなのは、福島第一原発4號(hào)機(jī)である。今の狀況では、強(qiáng)い余震が來れば4號(hào)機(jī)プールの核燃料が全て溶融する危険性を孕んでいる。そして放射性物質(zhì)が漏れ出したら、その後の被害の大きさは想像に難くない。余震が起きる度に、小武海議員はすぐさまテレビをつけ、原発の狀況を確認(rèn)している。4號(hào)機(jī)が危険な狀態(tài)になれば、原発から最も近い南相馬市は一番にその影響を被るからだ。
小武海議員には仙臺(tái)に住む娘さんがいる。そちらからの招きも斷って今も夫婦2人で南相馬市に止まっている。夫妻はこの1年、出來るだけ外出を控え、當(dāng)?shù)丐问称筏渌蚩冥摔筏胜い瑜Δ摔筏皮?。小武海議員は「殘りの人生すべてをかけて、市民の安全のために、原発運(yùn)動(dòng)に邁進(jìn)したい」と述べている。
?中國(guó)網(wǎng)日本語(yǔ)版(チャイナネット)? 2012年3月13日