「東日本大震災(zāi)」が発生した時、中國のテレビもそれを即時中継し、私たちはあの大津波の映像を前にして茫然としていた。というのは宮城県は私たちにとって、ジャーナリスト人生の原點の1つだったからだ。宮城県日中友好協(xié)會は、日本を?qū)澫螭趣工毳弗悌`ナリズムの世界で頑張っている人たちに日本社會の実情を知ってもらおうと、一年おきにわれわれを招待してくれ、宮城県下の各市町村を訪れ、工業(yè)、農(nóng)業(yè)、マスコミその他さまざまな分野の人たちとの觸れ合いの機會をつくってくれた。われわれはこの「フィールドワーク」を原點の1つとして、それぞれの目標(biāo)をめざして歩んできた。その原點ともいうべき地域が天変地異の中で呻吟しているのを見て、心を痛め、訪問の際にお會いした人たちの安否を気づかっていた。亡くなった人たちのことが伝えられる日本の新聞を見て、いつも暗い気持ちに浸っていた。
最近、香港のフェニックス?テレビのリポーターが石巻氏の被災(zāi)地を取材した番組を見たが、まだ復(fù)舊事業(yè)が完了していないことを知り、被災(zāi)した人たちもたいへんだな思っていた。中國でも四川省や青海省で大地震が起こり、大きな被害をこうむったが、中國の獨特なシステムで、全國各省?直轄市に復(fù)舊を分擔(dān)させるやり方を取ってかなり速く復(fù)舊作業(yè)をすすめているが、これはそれぞれの國の事情もあるので、論評を差し控えるが、とにかく天変地異は生命財産などに多大な損害をもたらすことには変わりはない。