レコードチャイナの報道によると、中國四川省出身の神楽雛子(傅莉=フー?リー)さんが日本國籍を取得して蕓妓(げいぎ)になった。外國人の血が流れる蕓妓の誕生は日本初だという。
05年7月に中國の食品貿易會社の岐阜支社に派遣され、日本での生活を開始。會社の企畫した宴席で蕓妓の踴る姿を見てひと目で魅了され、いつか自分も蕓妓になりたいという夢を抱いた。四川省成都市に住む両親に相談したところ、意外にも反対されず、逆に「そんなに好きなら頑張りなさい」と応援してくれた。しかし、蕓妓業界には「蕓妓は日本國籍の保有者」とのルールがあり、言葉とともに大きな障害となった。
來日前は日本語を話せなかったが、獨學でマスターし、言葉の問題を克服。11年11月には日本國籍を取得し、今年4月12日に岐阜蕓妓組合に籍を置く正式な蕓妓となった。蕓名は莉那(りな)。
同組合の熊沢順子組合長によると、最も栄えた昭和40年ごろには130人以上の蕓妓が所屬していたが、現在は神楽さんを含めて25人。「蕓妓業界は徐々にすたれていく傾向にある。神楽雛子の加入が新たなエネルギーをもたらしてくれたら」と期待する。
神楽さんは「日本を訪問する中國人は増えている。蕓妓文化を通じて日中両國の文化交流の懸け橋になりたい」と抱負を語った。
「新華網日本語」 2012年4月15日