製造業(yè)大國として並び稱されるドイツの勢(shì)いがますます盛んであるのに対し、日本の影が薄くなっているのはなぜか。その原因はひとつに止まらないが、一般的に日本人は自國の製造業(yè)が「ガラパゴス癥候群」(すなわち「島國癥候群」)に染まっているからだと認(rèn)識(shí)している。ガラパゴス(Galapagos)は本來、南太平洋に浮かぶ群島を示し、この地は大陸から遠(yuǎn)く離れているために長(zhǎng)い進(jìn)化の過程を経て、非常に獨(dú)特な生物の種が育った。だが、この言葉で風(fēng)刺されているのは、日本企業(yè)が世界市場(chǎng)で完勝してから「ガラパゴス化」している現(xiàn)象だ。これまでの數(shù)十年間、ソニーのウォークマンやプレイステーション、シャープのテレビ、東芝のノートパソコンなどのヒット商品で負(fù)け知らずだったが、韓國のサムソン、LGも、20年前日系企業(yè)から高給で人材を引き抜き技術(shù)をコピーして、やっと名を上げてきた。目下、これまでの勢(shì)いを失ったソニーの株価は、サムソンの9分の1、アップルの13分の1にまで落ちている。
しかし、これをもって「日本企業(yè)の衰退はイノベーションの欠如によるもの」と片付けるのは公平さを欠くだろう。攜帯一つとってみても、すでに十?dāng)?shù)年前には日本の攜帯は、インターネット接続、メールの送受信、寫真撮影、音楽ダウンロード、おサイフ機(jī)能、テレビなどの多機(jī)能を備えるにいたっていた。クレジットカードや搭乗券としての機(jī)能まで兼ねることができた。2Gの時(shí)代には、日本の攜帯電話の規(guī)格は世界で他にはない獨(dú)自のものになっていた。そして、2001年には早くも3G規(guī)格が採用され、當(dāng)時(shí)の國內(nèi)市場(chǎng)が広く多くの利益を生んでいたために、日本の攜帯電話メーカーはこぞって自國の市場(chǎng)に重點(diǎn)を置き、販路を開拓していった。國內(nèi)市場(chǎng)の枯渇が近くなって、やっと海外へ販路を広げ始めたが、この時(shí)期には日本の攜帯電話のローカル性はすべて明るみに出てしまっていた。日本の攜帯メーカーはほとんど通信事業(yè)者のいいなりで攜帯を作っていたので、8社間の「派閥観」は明確だった。このため、日本の攜帯電話はハードウェアが優(yōu)秀で、機(jī)能が多様であっても、一般のパソコンやiPhone、スマートフォンとの互換性がなく、これに合ったソフトの開発も難しいために、國際市場(chǎng)ではまったく競(jìng)爭(zhēng)力を持たなかった。しかも、美しさと機(jī)能を併せ持ったiPhoneが登場(chǎng)すると、日本國內(nèi)の攜帯にはこの外來種の侵攻を食い止める力がなかった。