米國は日本に2つの原爆を落とし、20萬人の死者を出した。その後、日本には、米國に負けたのは日本の幸運だと言う人もいた。これは當然、米國が日本の軍國主義の時代を終わらせたことを指している。ところが中には、米國が靖國神社參拝を見て見ぬふりしていることに幸運を感じる人もいる。神社に祭られているA級戦犯は極東國際軍事裁判で裁かれたが、米國はこの裁判の主役だった。特に、日本の政治家が釣魚島に行き、戦爭中に米軍に攻撃された避難民の慰霊祭を行ったことに対し、米國は沈黙を続け、日本を支援し、「島を奪う」演習まで実施した。これは一部の日本人に幸運だと感じさせている。中國を見てみると、中國人は日本の戦爭孤児を育て、成人後に日本に返したが、日本には孤児が中國で不幸を経験したと思っている人もいる。中國は日本に戦爭賠償を要求していないが、反中分子はこれは日本政府のミスだと指摘する。これは日本の精神的な負擔となり、日本にとって不幸だというのだ。
要するに、日本の反中分子にとって、中國と隣り合うことはどの角度から見ても日本の不幸というわけだ。幸いにも、歴史は新聞によって記されたものではなく、メディアやコラムによって簡単に書き換えることもできない。理性と良識がなければ、心がひねくれ、近所付き合いをうまくできないのは當然だ。(上海國際問題研究院アジア太平洋研究センター副主任 廉徳瑰)
「中國網日本語版(チャイナネット)」2012年8月23日