日本の麻生太郎副総理はインド訪問時「日本は海上で中國と隣り合い、インドは陸上で中國と國境を接しているが、われわれは過去1500年以上の歴史において、中國との関係が極めてスムーズにいったことはない」と主張した。(文:劉江永?清華大學現代國際関係研究院副院長)
麻生氏のこの発言は耳障りに聞こえる?!钢腥臻v係が現在うまくいっていないからといって、大したことはない。1500年以上にわたりそんなに良好なことはなかったのだから。だからインドも中國に警戒すべきだ」というのが言外の意味だ。麻生氏の誤った発言は史実に反しており、全く成立しえない。
中國と日本は一衣帯水の隣人だ。中日両國人民の友好的交流は2000年以上綿々と続いており、世界の民族交流史上の奇跡と呼ぶことができる。秦?漢以降、稲作、桑栽培、養蠶、紡績、製錬などの生産技術が中國から日本へ相次いで伝えられ、日本は漢字、儒學、仏教、法令制度、蕓術も吸収し、參考にした。中日両國人民の相互學習、相互參考、相互融合は各々の國の発展と進歩を促し、東アジアおよび世界の文明を豊かにした。中國で永眠した遣唐留學生の阿倍仲麻呂、日本に渡り帰國することのなかった鑑真和尚。友好の美談は現在にまで伝えられている。
1992年10月、日本の明仁天皇は訪中時「貴國と我が國の交流の歴史は古く、特に7世紀から9世紀にかけて行われた遣隋使、遣唐使の派遣を通じ、我が國の留學生は長年中國に滯在し、熱心に中國の文化を學びました。両國の交流は古い時代から長い間平和裡に続きました。我が國民は長年にわたり貴國の文化に対し深い敬意と親近感を抱いてきました」「しかしこの両國の関係の永きにわたる歴史において、我が國が中國國民に対し多大の苦難を與えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります。戦爭が終わった時、我が國民はこのような戦爭を再び繰り返してはならないとの深い反省にたち、平和國家としての道を歩むことを固く決意して、國の再建に取り組みました」と表明した。
2000年余りの中日関係について、中國の文豪?郭沫若はかつて「歳月二千年の玉帛 春秋八十年の干戈」と記した。このように計算すると、中日両國は平和共存した期間がおよそ96%を占める。
西暦663年、日本は百済支援のため朝鮮半島に出兵し、白村江で唐?新羅連合軍に敗れた。その後約500年間の長きにわたり、日本と唐朝、宋朝は全體として友好的な交流を保った。だが元末?明初から日本の和冦が大挙して中國沿海地區で騒ぎを起こし始めた。中國は明朝初頭に釣魚島(日本名?尖閣諸島)を和冦を防ぎ止めるための海防範囲に組み入れた。中國の明朝萬暦年間、すなわち西暦1592-1597年に、豊臣秀吉は2度にわたり朝鮮半島に出兵、侵入した。これは中國占領が目的だったが、中朝連合軍の反撃を受けて完全に失敗した。しかしその対外侵略?拡張思想は後に日本軍國主義によって引き継がれた。