2020年夏季五輪の開催都市が東京に決定したことに落膽する中國人がいる一方で、一部ではほっとしている中國人もいる。五輪開催に向けて、國際的なイメージを重視することで、日本の強硬的な行動が抑制され、中國と日本の緊迫した関係は緩和されるとの見方をする人がいる。しかし、それは現実を正視しない幼稚な論調に過ぎない。
1936年、ナチス政権獨裁下で開催されたベルリンオリンピックはプロパガンダ利用され、記録映畫である『意志の勝利』は平和で寛容なドイツのイメージを外國に印象付けることに成功した。1946年の東京オリンピックは「非戦」こそが真の日本の姿であることを國際社會にアピールする目的があった。また、冷戦下に限らず、これまで幾度となく繰り返されてきた出場ボイコットなど、五輪は常に國際的な政治問題の矢面に立たされてきた。五輪の政治利用に反発する聲はあるものの、大概が機上の空論に終わっている。
五輪の開催が國のイメージ向上に大きく貢獻することは否定できない。積極なイメージアップ効果があり、國の様々な優位性を披露できる一方で、不都合な汚點を隠すこともでき、國家の威信を世界にアピールする一大ステージである。
口八丁手八丁で長年繰り返されてきたスポーツの政治利用は、掲げるプロパガンダと実際の行動が一致しないというのがこれまでの常だった。それが國際政治の舞臺では常態化していたことでもあり、中でも日本はこの方面に長けていた。
1930年、東京で開催された「第9回極東選手権競技大會(極東オリンピック)」では、日本政府に後押しされ、インド選手団は獨立運動の旗を掲げて入場した。1934年、日本は歐州諸國の植民地支配を受けていたアジア各國に対し、マニラで開催された第10回極東選手権競技大會に參加することを呼びかけた。スポーツの祭典は、日本が西側諸國の覇権を奪う戦場と化していた。東京で開催されることが予定されていた1940年の夏季五輪は、抗日戦爭(日本名?日中戦爭)の影響で中止されたが、これは決して日本に蹂躙(じゅうりん)されていた中國がオリンピック委員會に抗議したために実現したことではなく、日本軍がこのような「オリンピックショー」はもはや無意味であると考えたためである。當時の日本の外交當局は「汚點を隠す」五輪の役割を重視していたものの、日本軍はもはや恥も汚點も気にしておらず、五輪のベールなど余分なものだと考えていた。