五輪の東京招致が成功した日、安倍晉三首相はNHKの取材に応じた際、驚くべきことに五輪と何ら関係のない釣魚島(日本名?尖閣諸島)問題に觸れることを忘れなかった。それによって日本の敵に立ち向かう強(qiáng)硬な決意をアピールしたのである。『産経新聞』は五輪を政治的な観點(diǎn)から指摘し、「1964年の東京五輪開催期間中に、中國が『機(jī)に乗じて』初の核実験を行ったことを忘れてはいけない。中國は今では、釣魚島周辺海域に無人機(jī)を出動させており、その脅しの手段は時(shí)代と共に巧妙化している」と日本國民に警戒を呼びかけている。
五輪は元々、政治色の強(qiáng)いものである。五輪の日本に対する抑止力に期待してはいけない。より抑止力があり、より「面子」を重んじる國際法を前にしても、日本は必要なときだけ利用し、用が済めばあっさり切り捨てて無視するというやり方を採っていた。そのような日本のやり方は1876年にはすでに頭角を現(xiàn)していたのである。當(dāng)時(shí)、中國駐在日本公使の森有禮は、清の大臣である李鴻章と會談した際、李鴻章が「両國の友好は全て條約をより所としている」と述べたことに対し、森は「講和條約は役に立たない。一國の行動は誰が強(qiáng)いかこそが全てであり、條約に従う必要はない。萬國公法(當(dāng)時(shí)の國際法の解説書)にも従わなくて良い」とあっさり切り捨てた。1887年、日本の陸軍參謀本部第二局長?小川又次もまた、「殘忍で貪欲な世界では、道理や信義に基づいて関係を築くことはできない。発展を目指す斷固たる策略を講じ、國の繁栄を目指すことこそ、最も肝要である」との見方を示している。
これに比べ、國際政治に対する中國人の見方はやや美化された幻想に偏っている。かつて、中國の外交官?郭嵩燾は「誠実さと信義を持って他人に接すれば、相手も誠心誠意で応える。猜疑心を持って接すれば、同様に疑いや不信感を持たれる。それが道理と言うものである」と述べている。このような良心的な教養(yǎng)は自分の感情を麻痺させる媚薬にしかならない。