文=陳言?日本企業(yè)(中國)研究院執(zhí)行院長
70年前の8月6日、広島は1発目の原爆を投下された。本土決戦、全國玉砕という考えは、完全に支持を失い始めた。敗戦の事実を受け入れ、戦爭を終わらせる流れになった。日本が最初に発動した、周辺諸國に対する植民地主義戦爭、その後の米國などに対する帝國主義戦爭は、原爆投下から10日後の8月15日に終了した。
今年の8月6日夕方、集団的自衛(wèi)権の行使を目指す安倍晉三首相は、「21世紀(jì)構(gòu)想懇談會」からの報告書を受け取る。安倍首相はこの報告書の內(nèi)容に基づき、約1週間後に発表する安倍談話の內(nèi)容および形式を最終決定する。日本はさらに國內(nèi)外の情勢に対する重要な判斷を迫られている。戦爭と平和は、依然として日本が直面している重大な問題だ。
「安倍の談話」から「安倍談話」へ
日本メディアの報道を見ると、20年前の村山談話と異なる、歴史と未來の観點を示す安倍談話の発表は、安倍首相の重要な政治目標(biāo)だ。
時の村山富市首相は戦後50年、日本政府を代表し、戦爭問題に関する國家の見解を発表した。村山談話は、50年前の戦爭は日本による「植民地支配と侵略」であったことを認(rèn)め、「心からのおわび」を表明し、「痛切な反省」を行った。村山談話は國會の議論を経て、全閣僚の署名によって議決され、外務(wù)省によって発表された「日本政府の見解」だ。村山談話の內(nèi)容は戦後60年に、時の小泉純一郎首相に全面的に継承された。これは國際社會が日本への信頼を維持した重要な原因の一つだ。
20年前に國會で村山談話が審議された際、議員に當(dāng)選したばかりの安倍氏は機を叩き、憤懣やるかたない様子で投票の會場を後にし、戦爭問題に関する政府とはまったく異なる立場を示した。安倍首相は2年前、村山談話を全面的に継承するのではなく、新たな首相談話を発表すると発言した。