今年は、中國人民抗日戦爭と世界反ファシズム戦爭勝利の70周年の年であり、日本の敗戦70周年の年でもある。70周年というこの敏感な年、前回?前々回の10年の節目と同様、日本の首相は世界に対して政治的な表明を迫られている。過去に発動した戦爭の性質にかかわる表現では、日本政府の講話は発表のたびに難しい決定を迫られるが、今年は例年にも増して歯切れが悪く、「村山談話」と「小泉談話」で使われた「侵略」「殖民統治」「反省」などの表現を使うかという問題に及び腰の姿勢が目立っている。(文:李薇。中國社會科學院研究員、日本研究所所長)
精神的な克服はいまだ実現されず
70年が経ったが、日本はまだ、精神的な自己克服を実現できておらず、歴史問題の行き詰まりの中にとどまり、前に進むことができていない。長期にわたって、日本國內では、歴史認識問題で全社會的な共通認識が達成されておらず、大きな意見の相違が存在している。
一方には、政府の正式な態度表明がある。例えば、侵略戦爭に対して深い反省を示した1993年の「河野談話」、1995年の「村山談話」、2001年の小泉首相による盧溝橋での謝罪、2005年の「小泉談話」などがある。さらには大學教授や弁護士など進歩的な知的エリートの正義の呼び聲もある。もう一方には、侵略戦爭の歴史を否定する日本政界の思想は根深くある。右傾化した政治家や文化人は戦爭加害の性質に対して絶え間ない弁解を繰り返している。