世界の大多數(shù)の國と比べ、日本の食品は安全で、社會の治安が良く安心でき、社會保障制度も整っている。一般人はやや不満があったとしても、それほどひどい印象は受けないはずだ。ところがこのほど、日本、インド、インドネシアの調(diào)査機(jī)関が共同実施した世論調(diào)査によると、日本人のうち「幸福で自信がある」と回答した人の比率はわずか2割で、インドとインドネシアの6割を大きく下回った。日本新華僑報が伝えた。
これほど低い幸福?自信指數(shù)に対して、日本のネットユーザーはさまざまな反応を示している。ある人は民族的な性格のせいだとしている。日本人は控えめなので、過度に悲観的になり、幸福感が生まれないというのだ。またある人は地理的要因を挙げ、獨(dú)特な島國文化と自然環(huán)境により、日本人は未來よりも現(xiàn)実を重視し、憧れに危機(jī)感が勝っていると主張した。
しかしながら近年のさまざまな現(xiàn)象を見ると、悲観的な日本人が増えているのも否定できない事実になっている。上述した調(diào)査は紛れもなく一枚の鏡であり、一部の「愛國者」の過激な反応は、同問題が日本人の痛いところを突いたことを如実に反映している。
まず、社會に人がいない。少子高齢化が進(jìn)み、日本社會全體が人口問題を恐れている。上述した調(diào)査では、「悲観的」と答えた理由について「高齢化や人口減少に対して有効な対策が提示されていないから」とした人が84.7%に達(dá)した。腕の良い料理人でも、食材がなければ料理できない。ロボットが完全に人の代わりになるのはまだ遠(yuǎn)い先の話であり、今の人類社會から人が失われれば未來などあろうか。國、社會、家庭に未來がなければ、國民は幸福だと感じるだろうか。