修善寺に著いたその日は土砂降りの雨で、ややがっかりさせられた。しかし今になり雨の光景を思い出すと、天から與えられた靜かな清めの時間だったと感じる。
修善寺という地名は同じ寺名からきている。空海が禪を行うため建立したと伝わる。門をくぐるとこの上なく靜かで、唐破風の正殿の屋根は、大唐文明のこの遠い伊豆半島の山間部への大きな影響を感じさせる。
幸運なことに筆者は千年後もこの寺の門をくぐり、歴史教科書にしか登場しない風景を目にすることができた。遠くの山は青々とし、雲(yún)に覆われ雨に煙っていた。苔がついた石段には木陰が重なり、朝と夕の訪れを告げる鐘が鳴る。このような時空の狹間で、筆者は空海を身近に感じることができた。
修繕時のひっそりとした靜かな庭では、空海が三衣を身にまとい、杖と鉢を手にし、落ち著いた目をして風雨の中に立っていた。筆者は雨に打たれるのも忘れ、石燈籠の隣で満開の枝垂れ桜の中に入った。雨で花が落ちているが、驚くほど美しく活気にあふれていた。