修善寺に著いたその日は土砂降りの雨で、ややがっかりさせられた。しかし今になり雨の光景を思い出すと、天から與えられた靜かな清めの時間だったと感じる。
修善寺という地名は同じ寺名からきている??蘸¥Uを行うため建立したと伝わる。門をくぐるとこの上なく靜かで、唐破風(fēng)の正殿の屋根は、大唐文明のこの遠(yuǎn)い伊豆半島の山間部への大きな影響を感じさせる。
幸運(yùn)なことに筆者は千年後もこの寺の門をくぐり、歴史教科書にしか登場しない風(fēng)景を目にすることができた。遠(yuǎn)くの山は青々とし、雲(yún)に覆われ雨に煙っていた。苔がついた石段には木陰が重なり、朝と夕の訪れを告げる鐘が鳴る。このような時空の狹間で、筆者は空海を身近に感じることができた。
修繕時のひっそりとした靜かな庭では、空海が三衣を身にまとい、杖と鉢を手にし、落ち著いた目をして風(fēng)雨の中に立っていた。筆者は雨に打たれるのも忘れ、石燈籠の隣で満開の枝垂れ桜の中に入った。雨で花が落ちているが、驚くほど美しく活気にあふれていた。
「中國網(wǎng)日本語版(チャイナネット)」 2017年11月28日