日本のサービス。もともと日本の禮儀は世界的にも誇れるものだと思うし、あらゆるサービス業(yè)でのお客さんに対する対応の素晴らしさは気持ちよさすら感じる。相手に不快感を與えない対応。低姿勢(shì)な対応。
日本人は外國(guó)人に比べて「アピール不足、自分の主張が足りない」という聲を時(shí)々聞くが、恐らくこの原因は低姿勢(shì)が美徳とされている日本人の習(xí)慣からからきてるものだと感じる。所謂禮儀という生活習(xí)慣からなのかもしれない。だから、一概に「日本人はアピール不足、自分の主張が足りない」ということを悪いものととらえるのもどうかなと思う。
違う國(guó)の人と交流をするとき自己の主張は勿論大事な點(diǎn)。私が中國(guó)の人と付き合う上で気にしていることは何と問われれば、一言「うまく付き合うとか考えない」。考えが違うのは國(guó)が違うので當(dāng)然違う。「相手の機(jī)嫌をそこねたらどうしよう」と思っていたら人とは付き合えない。「日本人をそのまま表現(xiàn)する。そして自分をそのまま表現(xiàn)する」でよいのではと思う。日本には世界に誇れる禮儀がある。それをそのまま中國(guó)の人に対しても表現(xiàn)すれば、最初は中國(guó)の人から見れば新鮮に感じ「そんな気をつかわないで。。」と言われるが、決して不快感は感じない。むしろ気分良く感じるはず。中國(guó)の皆さんは日本人の考え方、その人個(gè)人の考え方を知りたがっている。
それに対して、よそ見することなく面と向かって自分の思いを伝えていくことが大事だ。何も中國(guó)式に合わせる必要もないし、染まる必要なんてない。そうなってしまったらつまらない。「日本を見せよう。自分を見せよう。中國(guó)を見よう。中國(guó)の人を見よう。」である。そうすれば個(gè)人同士を楽しむことができ、國(guó)の境をいつの間にか感じず付き合っていける空間が築ける。それに遠(yuǎn)慮、低姿勢(shì)も立派なことだと思う。どんどん遠(yuǎn)慮、低姿勢(shì)でいいじゃないかと思う。自分より相手をたてる日本人獨(dú)特の特色、素晴らしい習(xí)慣。
ある番組の質(zhì)問で「今後中國(guó)でどんな日本の物がヒットするか?」の問いに私は“日本のサービス”と答えた。中國(guó)は今、経済的に獨(dú)自の持ってる長(zhǎng)所を生かしつつ又更にいろんな物を吸収して発展し変化している。少なくともサービス業(yè)の中での日本仕込みのサービスは今後中國(guó)で反映されていくのではと勝手な予想をしている。今後の中國(guó)の変化に注目だ。(矢野浩二)
「中國(guó)網(wǎng)日本語版(チャイナネット)」 2011年5月4日
|政治?安全| 経済?貿(mào)易| 社 會(huì)一般| 文化?科學(xué)| エンタメ| 観光| 北京五輪| 政府白書| 記事一覧
|寫 真による報(bào)道| 生態(tài)環(huán)境| 中日両 國(guó)| 記者會(huì)見| 中國(guó)語講座| 特集バンク| Living in China