宋美齢が創設した「婦連総會」は臺北市中正區精華地區の「総統府」後ろの100メートルも離れぬ長沙街に位置し、延平南路、寶慶路、桃源街に囲まれている。住所は臺北市中正區長沙街1段27號?1913年に建設され、現在は臺北市指定の古跡となっている。
婦連総會は日本統治時代の臺灣での元の名前は「臺北偕行館」で、日本陸軍の將校クラスのクラブだった。1950年に婦連會が使用するために移譲されたが、従來は一貫して見張りが立っており、臺北市中心でも神秘的な場所だった。宋美齢がこれまで臺灣で長期間にわたって執務した場所でもある。
婦連総會の建物の前身は日本統治時代の偕行館で、清代は登瀛書院と呼ばれ、後に淡水館と改稱された。近くには西學堂と番學堂がある。日本統治時代に二階建ての洋館に改築され、陸軍士官のクラブとなった。日本の敗戦後は國民政府が接収し、1950年に婦女反共連合會となり、宋美齢が長期間にわたって業務を行い、近年は婦連総會を改稱していた。
「人民網日本語版」2010年4月29日