しかし、スポーツ種目のレベルというものは、あせるだけで高まるものではない。なが年のトレーニングの蓄積、國際試合の場數を踏むこと、自分たちにとって最適のトレーニング法を編み出していくことが不可欠である。例えば、卓球、重量挙げなど中國の強い種目もなが年の蓄積の中で形成されたものである。したがって、ファンたちの失望、落膽は分からないではないが、冷靜になぜいつまでたっても改善の兆しがないのか、じっくり考えてみることも必要ではないだろうか。
南米やヨーロッパでは幼稚園に入る前からサッカー?ボールに楽しんでいる。中國にそういう環境がないとは言えないが、日常生活でボールと接する機會はどう見ても少ない。最近、北京の新聞に、ビルまたビルが建ち並び、こっちの屋上からあっちの屋上へボールを蹴る以外にスペースがなくなっている、というマンガが出ていた。もちろん、マンガだから誇張した面もないわけではないが、都市を例としても、今や少年たちは、英語塾、數學塾、コンピューター?ゲームと大人以上に多忙な生活をしている。そういう中で、かつてのペレとかジーコのような選手が現れてくるだろうか。
最近、中國では少年百人を國外へサッカーの修業に出しては、という話題を耳にするが、とにかくサッカー、バスケット、バレーはどうもノドに突き刺さったトゲになってしまったように見受けられる。世界を見渡せば、強豪がひしめいているし???。その任に當たる人たちにとっては、たいへんなことかもしれない。
一時期、ボクシングは、中國人には向かない種目と言われてきたが、最近、バンタム級、フェザー級あたりでは、かなり強いボクサーも現れてきている。そういうことだから、サッカー、バスケット、バレーも、そのうちに強くなるに違いない。