「人民日?qǐng)?bào)海外版」はこのほど中國伝媒大學(xué)世論研究所副所長(zhǎng)の論評(píng)を掲載、同論評(píng)は、中國をひとつの「禮が崩れ快楽に溺れる」社會(huì)とし、価値観の主流がすでに崩壊していると批評(píng)する人が少なくないが、実際には全く相反していると指摘した。以下は論評(píng)の摘要。
中國社會(huì)に消費(fèi)群體の多様化および価値観の多元化が現(xiàn)れているのは確実で、否定することはできない。ネット社會(huì)の中で、中國人の価値観はさらに亂雑になっている。しかし中國の伝統(tǒng)的な主流価値は依然安定している。たとえばある若い女性がテレビで「BMWに乗せてもらって車內(nèi)で泣いて、自転車ではニコニコできない」などと話した後、即座に激しい論爭(zhēng)が起こり、多くの人から非難を浴びた。これは物質(zhì)享受を追い求めることがすでに中國人の伝統(tǒng)的な生活方式に衝撃を與えていることを示しているが、だからといって中國社會(huì)は拝金主義に完全に左右された訳ではない。中國人にはこのような自信が必要である。
ネット文化の勃興は、価値観の多元化を明らかに波のように後押ししている。ネット環(huán)境の下、恨みを抱き、鬱憤(うっぷん)を晴らし、悪意ある書き込みをし、低俗が中國人の価値観にすでに巨大な衝撃を與えていることは疑いない。しかしながら悠久の中國の歴史の中で、人々は生活、協(xié)力、移動(dòng)、摩擦、融合など各種の民族深化過程を通じ、すでに固有の価値観慣性を形成している。
この種の価値観慣性の下、儒家文化の中の仁、義、禮、智、信は基である。3千年以上の歴史の進(jìn)化の過程で我々は、各時(shí)代に発生した重大な変遷が引き起こした価値観の共有を発見することができ、これらはいずれもこの種の主流の基を強(qiáng)めてきた。
この見地から、現(xiàn)代中國人の主流価値観とは何か?日常的現(xiàn)象だけで判斷するのではなく、無數(shù)の中國人の心の奧深くに根付いた理念とは何かを観る必要がある。五輪聖火リレーの際に激しく沸き起こった愛國ブームの如く、四川大地震、玉樹地震発生後の全國民が救援に集結(jié)した民族の心情は、心の內(nèi)の根本的理念に觸れた後に本能的に現(xiàn)れたものであり、これこそが真の主流価値である。この種の主流価値観の本能的反応は、最も真実であり、わずかなる修飾もされていないものだ。
「人民網(wǎng)日本語版」2011年1月4日