(人権問題について)すでに2004年に中國憲法に人権の保障が盛り込まれた。関連法規(guī)にも相応の調(diào)整が行われた。中國は人権に対する姿勢においても、その実踐においても根本的に変化したと私は見ている。だが歐州の一部訪中団の姿勢は依然変わらず、高所から見下ろすような態(tài)度でわれわれを非難する。
現(xiàn)在中國は人権という概念を決して拒絶しておらず、中國の土壌に移植可能な観念を徐々に學(xué)び、吸収し、中國で立派に成長させようとしている。だが一方でわれわれは、他人からこれをしろと強(qiáng)いられることに反感を覚えている。これは気分が悪いものだ。
西側(cè)メディアの中國報(bào)道は過去數(shù)年で、より幅が広がった。北京五輪後は、よりバランスもとれてきた。だが、まだ知ったかぶりな感じが常にある。中國を理解したいのなら、自分が興味を覚えた物事を掘り起こすだけでは不十分だ。あなた方の言語を話し、あなた方の期待に沿った話をする人の話を聞くだけでは不十分だ。真に重要なのは、大多數(shù)の人々の利益なのだ。13億人もいる中國人の中から極端な主張を持つ者を見つけ出すのは難しいことではない。どんな物事にも異なる観點(diǎn)がある。だが、何が大多數(shù)の人々の利益に合致するかを真に理解しなければ、賢明な政策決定は行えないのだ。
「人民網(wǎng)日本語版」2010年7月30日