このような背景をもとに、中國(guó)もすぐさま「歴史問(wèn)題と決別し、21世紀(jì)の新たな中日関係を構(gòu)築する」との方針が掲げられ、江沢民元主席の初訪日が取り決められた。中國(guó)の元首として訪日したのは、戦後、江沢民元主席が初めてである。このため両國(guó)首脳による「21世紀(jì)へ向けた未來(lái)志向の友好協(xié)力関係を目指す」共同宣言を行うことが両國(guó)の働きにより取り決められた。中國(guó)は日本に対し、韓國(guó)との歴史問(wèn)題を処理したのと同じやり方、つまり戦爭(zhēng)謝罪を宣言に盛り込むことを要求し、歴史問(wèn)題を終了させることを提案した。
だが、日本側(cè)がその要求を拒絶したため、中日間の「歴史問(wèn)題との決別」が失敗に終わった。その後、小泉純一郎元首相が靖國(guó)神社に何度も參拝したことにより、中日関係は悪化し、「凍結(jié)」した関係になってしまった。1998年から2006年の8年間、中日関係は事実上、「新?8年戦爭(zhēng)」(1937~1945年の中日戦爭(zhēng)は8年戦爭(zhēng)とも呼ばれる)を形成していた。その後、両國(guó)の「凍結(jié)」関係が小泉元首相の訪中により「解凍」され、安部元首相の訪中が「氷を砕く旅」、福田元首相の訪中が「迎春の旅」、胡錦濤主席の訪日が「暖春之旅」と稱され、暗闇に一筋の光がもう一度走るようになり、戦略的互恵関係(共通利益を拡大し中日関係を発展させること)が促進(jìn)されるようになった。
ここで、中國(guó)が要求していた戦爭(zhēng)謝罪の問(wèn)題は隅にやられた。中國(guó)側(cè)も「日本の現(xiàn)首相による靖國(guó)神社參拝に反対」と、要求のハードルを下げている。日本側(cè)は「日本は中國(guó)に何度も謝罪している」とし、「謝罪外交」を繰り返す必要はないと主張している。実は、日本は、中國(guó)に対し正式謝罪する機(jī)會(huì)を自ら閉ざしてしまっているのだ。