世界で唯一核兵器による攻撃を受けた國、日本の「核」の危険性に対する認識は他の國には想像できない。広島、長崎の苦痛を経験したからこそ、大地震発生後すぐに人々は、原子力発電所の安全に目を向けたのかもしれない。香港紙?大公報?が伝えた。
日本の放射線漏えいは確かに厳しい狀況が続いている。原子力発電所は依然として不安定な狀況にあり、一旦コントロールができなくなれば、何が起こるかわからない。
今回の事故による影響はまだ拡大しつつあり、人々に大きな教訓を與えている。日本は地震多発地帯にあり、もともと原発の建設、特に海岸での建設には向いていない。しかし、政府は長年にわたり、低炭素エネルギーの発展を提唱し、全國で原発の占める発電量の比率を大幅に高めてきた。すでに日本では発電量の3割を原発で賄っている。さらに政府は昨年、2019年までにこの比率を48%にまで高めると発表したばかりだった。
日本政府が、國內外の「原子力反対」の圧力に耐えてこられたのは、技術に絶対的な自信があったからだ。福島原発の耐震設計はマグニチュード9.0の地震にも対応できるものだが、今回の地震と津波の襲撃は防げなかった。日本の國民が原発の安全に疑問を抱くのは當然のことといえる。
何事も念には念を入れるに越したことはない。科學者が科學的な態度で一切に臨む場合、「絶対」の二字は慎まなければならない。地震や津波、土石流などの自然災害を前では人はどんなに小さく、何もできないか、実際に自然災害を體験したことのある人ならわかる。人類が自然を征服して改造するなら、少しでも自然に対して畏敬の念を持つべきだ。そうすれば自然からの罰を受けずにすむ。
數十年が経ち、チェルノブイリ原発が舊ソ連にどれだけ貢獻したかを覚えている人はほとんどいなくなったが、原発事故による犠牲者の遺骨、放射線汚染によって荒廃した土地は教訓を忘れないよう、悲劇を繰り返さないよう絶えず人々に忠告している。
?中國網日本語版(チャイナネット)? 2011年3月17日