■日本の友人の親切な助け
在日中國大使館経済商務処の職員は「多くの日本人が中國人研修生を救助するために親切に力を貸し、無私の貢獻をし、被災地で作業する中國公館職員に極めて大きな協力をしてくれた。自らの命を犠牲にして中國人を救助してくれた人すらいる」と語る。
宮城県女川町にある佐藤水産株式會社の佐藤充専務理事は津波の到著前に中國人研修生20人を高臺へ導いて避難させ、落ち著かせた後、妻と娘を捜しに戻って、津波に命を奪われた。兄の佐藤仁社長は研修生の寢場所を確保するため、地震の夜に奔走して友人から家を借りた。女川魚市場の遠藤貢さんは中國大使館が中國人研修生155人を3陣に分けて避難させる手助けをした。南三陸町志津川にある金木商店の店主?吉田信吾さんは手を盡くして大型バスを手配し、中國人研修生52人全員を新潟空港へ送り屆けた。
また、避難所にいる中國人研修生を毎日見舞った60代の會社社長もいる。避難の際、彼は體の弱った研修生の荷物を自転車に載せ、ぬかるみの中を2時間半歩いて集合場所へ研修生を送り屆けた。逆境において初めてその人の真価が分かる。苦難の時こそ本心が現われる。大災害の中で、中日の民間の友好はより貴く映った。
「人民網日本語版」2011年5月26日