中國海軍の第1列島線進出にしろ、今日の空母建造にしろ、いずれも中國が苦心して行っていることではなく、中國が全面的に成長した後の自然な行動なのだ。世界のいずれの大國も空母を保有し、中等國でも保有する國があり、今日まで発展してきた中國が空母を建造しないとすれば、恐らく建造に納得がいかない以上に奇異に感じるだろう。同様の道理から、中國艦隊が紺碧の海へと向かうのは、永遠に近海にへばりついているのに比べれば、中國の世界にまたがる國際貿易、今日のグローバル化の流れにより合致する。
中國の空母が具體的にある國に対処するものでないのは明々白々であり、それは日本でもなければ、米國でも、南中國海の諸國でもない。中國にそのいかなる國とも戦略的に対峙しようとする真意はまったくなく、中國の平和と発展への願望は真実なものだからだ。ただ一方、自発的に軍事圧力を用いて中國に迫ろうとするなら、中國は軍事資源を結集してそれに対抗し、必要とあれば、空母も參加するだろうし、さらに必要とあれば、中國の他の戦略的手段を用いることになるだろう。
中國が外部の要求に適度に反応し、軍事透明度を高めることは確かに必要である。だが、國それぞれは、自らの考えで人を推し量り、自らの習慣と経験を中國の頭上に無理に押しつけ、もともと存在しないいわゆる計畫なるものを明らかにするよう中國に迫るべきではない。彼らは中國の平和臺頭にある意味を真剣に検討すべきだ。中國は進攻型の國ではない。軍事手段はやむを得ない場合にのみ使用し、西側の理論が常に考えることとは異なり、平和と戦爭の手段はコストパフォーマンスが最も高いほうを使用すべきだと中國人は考えている。
日本人がもう中國の空母建造の「意図」をめぐって自らを苦しめることのないよう、反対に、中國人が答えられない問題をもってわれわれを苦しめることのないよう願っている。
?中國網日本語版(チャイナネット)? 2011年8月6日