ある辛亥革命に関するセミナーで、「日本が辛亥革命を手助けした」という論調を耳にし、思わず考え込んでしまった。
中國の辛亥革命は一衣帯水の隣國である日本と確かに非常に密接な関係があることは歴史の事実だ。日本に留學した中國人學生が革命に身を投じ、辛亥革命の中心的存在となった。中國同盟會の結成大會は1905年に東京で開かれ、熱意ある友好的な日本人が孫文の革命活動を積極的に支援した。多くの「日本の友人」が辛亥革命を手助けしたのは紛れもない事実だが、「日本」が辛亥革命を手助けしたとなれば、分析が必要になる。
◇革命黨への支援は國際情勢を考慮
まず當時の日本政府がなぜ中國の革命の志士の日本での活動を許容していたのか?その背景には、1894年の日清戦爭後、清政府が1896年にロシア帝國と日本を仮想敵國とする「露清密約」を交わし、日本政府はこれを極めて恐れていたからだ。この密約に対抗するため、日本は中國內部の反清勢力を支援、孫文もこの時期に活動の拠點を日本に設置した。
1905年に日露戦爭終結後、日本はロシアは中國を制覇するに値しないと考え、時間を稼ぐと同時に他の列強が中國で利益を貪るのを阻止するため、日本は清政府と革命黨に対する態度を変えた。日本政府は清政府の側に立ち、孫文の革命活動への支持を止める。1911年10月、日本陸軍の武器輸出機構で、三井物産など3社が設立した「泰平組合」を通じて、日本政府は清政府に大量の武器を売卻した。
◇革命黨への武器売卻、日本政府の中國侵略に協力