■日本で刊行された地図には中國の釣魚島が含まれていない
香港中文大學の鄭海麟博士が友情提供した『大日本全図』(1876年,図?)、『日本地図』(1967年、図?)等、日本で刊行された地図にはいずれも、中國の領土である釣魚島が含まれていない。鄭博士は他にも英國、フランス、米國で19世紀に刊行された『中國地図』が、いずれも中國の領土である釣魚島を含んでいることを示した。
歴史文獻以外に向達先生校注の『両種海道針経』、日本の著名な學者?井上清の『釣魚島の歴史と主権』「釣魚諸島の歴史と帰屬問題」等の著作、および人民日報に掲載された釣魚島関連の中國外交部(外務省)の聲明などが展示された。
展示された歴史文獻は中國が遅くとも15世紀初めには釣魚島を発見しており、かつ臺灣の付屬島嶼として管轄し、中國の海洋版図、海上防衛(wèi)區(qū)域に組み込んでおり、「無主の地」では斷じてないことを証明している。日本の明治政府は1885年に沖縄県當局の調査で無人島であることに気づき、1895年に日本領土に編入した。日本側は「無人島」を「無主の地」へと概念をすりかえたのであり、いわゆる「先占」の原則に基づき釣魚島の「主権」を得たとの説明は全くの歴史の噓だ。19世紀末に日本が中國の領土である釣魚島を竊取したのであれ、1970年代に米日が釣魚島をひそかに授受したのであれ、釣魚島が中國に屬するという事実は変えられないし、変えられてもいない。
「人民網日本語版」2012年9月18日