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西園寺一晃先生インタビュー「歴史を忘れてはならない」

人民網日本語版  |  2013-09-25

西園寺一晃先生インタビュー「歴史を忘れてはならない」。西園寺一晃先生は現在、東京都日中友好協會副會長、日本工學院大學孔子學院院長などを務めている。1958年から1967年まで北京で暮らし、帰國後は朝日新聞社に入社して、中日友好事業に長年攜わってきた…

タグ:西園寺一晃 少年時代 歴史 民間交流

発信時間:2013-09-25 13:32:40 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

西園寺一晃先生 

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西園寺一晃先生は現在、東京都日中友好協會副會長、日本工學院大學孔子學院院長などを務めている。1958年から1967年まで北京で暮らし、帰國後は朝日新聞社に入社して、中日友好事業に長年攜わってきた。父の西園寺公一氏は參議院議員を務めた日本の政治家で、1958年に日中文化交流協會理事、アジア太平洋平和理事會副理事長に就任。中日國交正常化前の中日民間外交の先駆者であり、民間大使と呼ばれた。中國在住時(1958-1970年)には毛沢東主席、周恩來総理と親交を結んだ。人民日報海外版が伝えた。

■忘れがたき少年時代の記憶

41年前の9月25日、田中首相が中日國交正常化の準備のため訪中した。西園寺先生は國交樹立時の狀況をはっきりと覚えている。「私たちは國交樹立の歴史を忘れてはならない!周総理はかつて『水を飲むときには、その井戸を掘ってくれた人を忘れない』と厳かに述べた。これは中日友好事業に努力を払った全ての人を評価するものだ」。

西園寺先生は「1958年に私たちが北京に到著して間もなく、周総理夫妻が中南海の西花庁で私たち一家を接見し、食事を共にした。その時、周総理は私に2つの事を伝えた。1つは『君はこれから北京で暮らすことになるが、広く交友関係を持ちなさい。そうした友人は、必ず君の貴重な財産になる』。もう1つは『これから北京で暮らす中、君は様々な人や物事を見聞きするだろう。中國には良い所もあれば、良くない所もある。もし欠點、不足、誤りを見つけたら、遠慮せず、率直にお父さんに話しなさい。私は外國の友人からお世辭を多く聞いてきたが、それらは好きではない』」と當時を振り返った。

まさにこうした経験によって、西園寺先生の心の中に、中日友好のために努力する使命感が芽生えた。「帰國後私は朝日新聞社に入社し、本當の中國を日本の民衆にできる限り伝えた」。

■23年間の歴史を銘記

「現在の日中両國の若者にとっては、新中國成立から1972年の日中國交樹立までの23年間の歴史を知ることが大切だ」と西園寺先生は強調。「周総理は私に『1950年代初めから中國は日本との國交樹立を望んでいた。だが障害が2つあった。1つは日本がこの提案を受け入れるかどうか、もう1つは中國民衆の感情の問題だ。當時中國民衆の日本に対する憎しみは山のようで、われわれ中國は発展し、強大化したら、必ず日本人に報復しなければならない、などの呼び聲が激しかった』と語った。こうした狀況を前に、周総理は『軍國主義の侵略者は斷じて許さないが、日本の民衆も被害者だ。われわれは友好的に付き合う必要がある。これは雙方、さらにはアジアにとって極めて重要だ』と表明した」と振り返った。

「新中國成立後、周総理は日本に対して自ら2回呼びかけを行った。その1つは政治協商會議で提起された。駐ジュネーブ中國総領事も日本側に書簡を提出したが、日本側はいずれも取り合わなかった。後に中國は國內に殘された日本の女性、子ども、および戦爭捕虜を全て安全に日本へ帰國させた。この行動に日本の民衆は感動し、國を挙げて政府を批判した。こうして、日本國內で中國との國交樹立を訴える聲が日増しに高まった」。西園寺先生はこれを、中國政府の対日政策の勝利と評価した。

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