1998年から、香港はアジア金融危機と世界範囲の調整に遭い、景気低迷、不動産価格の下落に加え、SARSが橫行し、香港の経済はまさに泣きっ面に蜂という狀況だった。また、香港特別行政區政府の財政赤字が膨らみ、市場には暗雲が立ち込めていた。2003年の復帰記念日前の6月29日の経済貿易緊密化協定(CEPA)の署名で香港と內陸部の緊密な連攜がとられ、香港にようやく強い景気回復の風が吹き始めた。
その10年後、さらに大きな猛威を振るう世界金融危機に直面したが、香港に大きな混亂は見られず、経済のバロメーターである不動産市場、株式市場は安定を保ち、香港の銀行の中で特別行政區政府の資金援助を必要とする銀行は1行もなかった。デパートやレストランの人の流れが途絶えることはなく、繁栄した市街區の光景にも変わりはない。特別行政區政府には対外債務や対外借款がないどころか、相當規模の香港ドルの準備通貨を保有しているほどだ。曾蔭権?特別行政區政府長官は、この波亂に満ちた環境下においても、香港の競爭力は少しも影響を受けていないと自負する。
香港が2度目の金融危機を前にして余裕の対応を見せているのは、中國內陸部の経済が先行回復の効果を示しているほかに、中央政府の香港特別行政區への一連の支援措置にも密接に関わっている。
もし、2度の金融危機を「香港が成長するための洗禮」と言うならば、このチャレンジに富む洗禮を経て、香港はより多くのエネルギーを蓄積して再出発する必要がある。
復帰12周年を迎えた今、香港の危機対応能力は向上したとはいえ、世界的に景気が後退している環境下で、この「東洋の真珠」もほこりをかぶることになる。これには失業率の上昇、経済成長率の大幅縮小なども含まれる。
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