このように概念を捉え直すことで、新しい示唆ができると思います。それは、「外來の行事」も真の「文化行事」になりうるということだとおもいます。「外來の行事」は「伝統的な1年區切り」と異なりますが、それは単に歴史的な蓄積が淺いので「文化行事」になっていない、ひいては、街全體の雰囲気を生成する要素になっていないといえるわけです。そうであるならば、これからさらに、各國で「外來の行事」の歴史が深まり、さらに近代では営利組織(大規模ショッピングモールから街の小規模店舗まで)によって、大々的に広められるというイベントと商業主義のリンケージ特性を持った上で、それらは「文化行事」になっていくことの可能性は十分にあります。
以前は、日本にとっては、元日を挾んだ年末年始が「伝統的な1年區切り」で唯一の「文化行事」であって、クリスマスは「外來の行事」で本ブログ表現での「文化行事」ではありませんでした。中國にとっては、春節が「伝統的な1年區切り」で唯一の「文化行事」であって、クリスマスや元日を挾んだ年末年始は「外來の行事」で「文化行事」ではありませんでした。
今ではこれが、日本においては、もはやクリスマスは商業主義の媒介によって、社會に吸収され、土地に染み付きました。そして「外來の行事」ではありますが「文化行事」と十分に呼べるほどの深さと広さをもつようになってきています。これから、中國でも「外來の行事」のクリスマスや元日を挾んだ年末年始が「文化行事」となっていく可能性は大いにあるかと思います。
まだ時間は係ると思いますが、中國の都市部でも農村部でも表面上ではなく、「西方的文化だから自分にはそれほど関係ないね!」というどこか隔離したような根底にある気持ちが「クリスマスだから飾り付けをしてみようかなぁ、すこし豪華なディナーをとろうかなぁ」などと変化し始めたら興味深い変化ですね!