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山高し道遠し 徐敦信元駐日大使が見る中日関係 |
発信時間: 2009-09-21 | チャイナネット |
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中日が友好條約を締結(jié)して間もなく、中國は改革開放を?qū)g施することを決定しました。鄧小平同志が訪日した二番目の目的は、即ち視察であり、これはより重要な目的でした。中國はどんな改革開放の道を歩むのか。「総設(shè)計師」として、鄧同志はこうした問題を抱えて日本へと向かい、鉄鋼や自動車、家電関連の企業(yè)などを視察しました。その後、寶鋼(上海)が日本とドイツの技術(shù)を?qū)毪贰F(xiàn)代的企業(yè)へと成長していきました。
その後の実踐が示すように、我々の改革開放構(gòu)想の一部は日本を參考にしたものです。「倍増」や「いくらかゆとりのある生活」の実現(xiàn)といった命題は、鄧同志が日本の指導(dǎo)者と意見交換する中で考えたものです。
鄧同志の日本訪問後、中日の間ではハイレベルの相互訪問が頻繁となり、その他のクラスの交流も非常に多くなりました。定期相互訪問や政治協(xié)議、専門會議などもこの時期に定著しました。
中國の改革開放によって、中日の経済貿(mào)易は発展に向けて好條件が整いました。日本は中國の原材料と市場を必要とすると同時に、中國を投資と技術(shù)移転の対象にしたいとの意向も示すなど、中國の改革開放に極めて大きな関心を示しました。中日経済はこれを機に飛躍的に発展していきます。72年の貿(mào)易額は10億ドル、78年は50億ドルに、01年は約900億ドル、昨年は2686億3000萬元に達しました。日本の対中直接投資プロジェクトは、00年末時點で累計2萬件超に上り、契約金額は386億元、実際利用ベースでは281億元でした。
関係が緊密になったことで、人的往來も急速に増えていきました。72年は約1萬人、そのうち大半が日本人でした。雙方の往來は99年に延べ約239萬人、現(xiàn)在は延べ500萬人強、中日を結(jié)ぶ航空路線は週500便を超えています。
客観的に言えば、中日はその関係を発展させることで雙方に実際的なメリットをもたらし、地域や世界の平和、発展、協(xié)力の面でも貢獻したのではないでしょうか。
しかし、この20年來の両國の國內(nèi)と國際情勢の変化も、中日関係に非常に多くの変數(shù)、あるいは影響とダメージをもたらしたと言えるでしょう。冷戦終結(jié)後、世界の枠組みに変化が生じ、中日両國が直面する北方からの安全への脅威は存在しなくなりました。社會主義運動は低潮となり、こうした狀況の中、主要な矛盾が存在していた時に覆い隠されていた一部の矛盾や問題が浮き彫りになり、かつ深刻化し始めました。同時に、日本は政治大國としての地位を求め、軍事力を増強することで、ソ連が姿勢を改めて朝鮮半島と中國に目を向けるのを防ごうとしました。 |
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