「トイレ!」ポンと1つ手をたたき、口を閉じて笑い出した。「石が2つと穴が1つ、頭を下げて周りをみると豚が飼育されていた」。
當時、まずこの歴史學の教授の頭に浮かんだのは「歴史を研究している時、中國漢王朝時代のレンガに彫られた、トイレの外で豚を飼育しているイメージを見たことがあったけど、まぁ、20世紀の中國にもあるのね!」という感想だった。
取材の中で記者が驚きを感じたのは、中國語ができない日本人ボランティアが必ずある中國語の言葉を口にしながら交流していることだった。それは「你好(ニーハオ)」や「謝謝(シィエシィエ)」ではなく、「吃飯(チーファン、食事をするの意)」でもなく、「大娘」であった。
「最初に來た時このように呼んだのです」。石田氏は1992年に初めて盂県を訪れた時、皆が萬愛花を「萬大娘」と呼ぶのを耳にした。
「1996年に私たちが農村調査を行った時、皆そう呼んでいました。でも、私とは年齢が近いので、いつも萬『大姐(ダージエ、年上の女性に対する呼稱)』と呼んでいます。『大娘』というこの特定の呼稱は、傷痕と向かい合い、勇敢に立ち上がり歴史のために証言を行った女性たちに対するこの上ない敬意を示しているのです」と石田氏は語る。
「中國網日本語版(チャイナネット)」 2010年5月5日