宋文洲さんは1963年、中國山東省の生まれ。1985年に、中國の東北大學(xué)を卒業(yè)し、國費(fèi)留學(xué)生として北海道大學(xué)に留學(xué)。北大で工學(xué)博士號を取得した後、札幌市內(nèi)の會社に就職したものの、會社は3か月で倒産。その後、自らが大學(xué)時代に開発した土木解析ソフトの販売を始め、その時に得た資金で1992年、コンサルタント會社「ソフトブレーン」社を創(chuàng)設(shè)した。
獨(dú)自に考え出した営業(yè)管理手法「プロセスマネージメント」を生かした営業(yè)支援ソフトウェア?「eセールスマネージャ」及びその関連サービスを主力製品に、これまで日本を中心に、1600社以上の企業(yè)に導(dǎo)入されている。
好調(diào)な売れ行きで急成長を遂げたソフトブレーン社は2005年に東証1部上場を果たしたが、宋さんは「創(chuàng)業(yè)者がいつまでもトップを務(wù)めるべきではない」とのポリシーに基づき、1部上場した後、代表権を社長に譲り、取締役會長に退いた。
昨年夏、一家4人で生活の拠點(diǎn)を北京に移した宋さんは、3ヶ月ほど前から中國企業(yè)向けの主力製品の販売も始めた。24年ぶりの中國での生活で感じたこと、中國と日本のビジネス環(huán)境の違い、そして、変わり続ける中國の市場としての魅力などについて、先月、北京で宋文洲さんにインタビューさせてもらった。
■サービスのグローバル化時代
――去年から生活の拠點(diǎn)を北京に移したようですね。
そうですね。もともとは子どもの中國語が上達(dá)しないので、ちょうど私もソフトブレーンを引退したし、どうせなら、現(xiàn)地で子どもが言葉を覚えてくれればと思って、去年の今頃、家族で北京に生活の拠點(diǎn)を移しました。
もちろん、東京の家もそのままにしていまして、私は毎月、1週間から10日ほど東京に戻り、ソフトブレーンの古いお客様を訪問したりしています。
しかし、一ヶ月のうちの4分の3の時間を北京で過ごすと、別にビジネスをしているわけでなくても、ビジネスマンの癖でいろいろ気になるんです。そうこうするうちに、ここにも市場があることが分かったので、ついつい、癖で中國でも販売を始めてしまいました。
――中國の民間企業(yè)の歴史はまだ淺くて、営業(yè)管理という考え方はまだ最近のことのように思いますが…
確かに中國は日本より遅れていますが、日本も進(jìn)んでいたのは製造業(yè)だけで、ホワイトカラーは意外と古くて、歐米先進(jìn)國と比べても、営業(yè)マンのやり方、管理部門のやりかたはまだ舊態(tài)依然のところが多いんです。だから、日本はモノは良いのに利益率が低い。販管費(fèi)の効率が悪いから、利益が出にくくなっています。私はその辺に目をつけて會社を作りました。だから、後進(jìn)國から來た留學(xué)生なのにちゃんと一部上場できました。
では、中國の企業(yè)はどうかと言うと、中國には企業(yè)がたくさんあって、最先端のマネージメントの考え方を取り入れて、世界に出て行ける企業(yè)も増えました。まずは、そういった企業(yè)を中心に十分市場が成り立ちます。それから、今は真ん中にあり、これから世界の企業(yè)を目指して頑張っていこうとする企業(yè)もたくさんありますので、そういう企業(yè)を助けて、啓蒙することにも意義もあります。ですから、やっているうちにニーズが拡大していくと思います。
――ソフトブレーン社の今後におきまして、中國ビジネスの位置づけは?
今、日本の良い會社はみな中國に出ていますから、會社によっては、今後2~3年以內(nèi)に、中國での売上が本國?日本よりも多くなるだろう會社も出てきています。
だから、私たちにとって、中國でのサービスをちゃんとやると、東京のお客様も満足してくれます。本社が東京ですから。逆に言うと、日本で頑張って顧客満足度が高くなっていても、北京や上海で私とものサービスがついていかなければ、お客様にしてみれば物足りなく感じるでしょう。
僕の中には日本と中國は一つのマーケットになっている。どちらのサービスも充実しなければお客様が満足してくれないんですよ。つまり、お客様がグローバル化すると同時に、われわれも同時にグローバルなサービスを提供しなければならないということです。
■工場から市場に変わった中國
――ソフトブレーンが中國で子會社を置いたのはもう10年前のことになります。しかし、それまではずっと研究開発の仕事をしていて、販売を始めたのはわずか3ヶ月前とおっしゃいました。
これも完全に時代のお陰です。これまでの時代は、中國は人件費(fèi)が安くて、工場としても魅力がありました。開発センターもある意味では、工場のようなものでした。當(dāng)時の中國は、購買力がない上、経営マネージメントの力も低かったので、売りたくても売れなかったんです。ようやく売れ出したのが最近ですね。日本と同じ値段で売っても高いと言われなくなりました。こういう営業(yè)管理ソフトにニーズが出てきたというのは、中國が工場から市場に変わってきたということを何よりも物語っています。(寫真左はソフトブレーン北京のオフィス風(fēng)景)
――今後の市場の成り行きについてどのように見ていますか。
市場は私の主観的な願望によって変わるものではないので、どれぐらい速いスペースで変わっていくのかがまだ分かりません。しかし、少なくとも市場があること、そして、その市場が徐々に拡大していることをこの3ヶ月で実感しました。