少しだけ、この問題を掘り下げてみましょう。果たして、便利になってきたことは良いのか悪いのか???についてです。
これからますます、社會がこれまでのように國境ごとの政治や経済そして市民意識等で分割されるのではなく、この「情報通信融合體」によって、更に國境のない巨大なネットワーク化してくとこれまで人類が體験したことのない世界に突入していくであろうことは容易に想像できます。これはコミュニケーションの一般特性についてのグローバル化です。
またコミュニケーションの特殊な形態とも言える「経済価値交換」についてですが、これまでの世界における人類の歴史を古くから振り返れば、超原始的な経済は自由競爭でありましたがそこにはインフラ欠乏という物理的な渉外があったために自由ではありながらも実質的な取引障害がありました(人間が移動できる距離にも限りがありました)。その後、インフラが発達し、農耕も発達し蓄財がなされるようになり、自由競爭のもとに経済上の貧富の格差が生まれました。そしてついには、これを是正するために政治が「経済」に介入するようになって歴史的に數千年がたちました。これはいま西暦2000年を過ぎても、「政治」「稅制」の問題として、各國で議論があることはご承知のとおりです。
このようにして、コミュニケーション手段の発達によって、國境の枠組みが「経済的」に薄れ初めて來ています。もしそうなれば、「経済価値交換」に対して、各國ごとに分斷された「政治」が介入できないほどとなり、これがどのような「自由」に突入していくのかまだ誰にも完璧な想像はできません。経済は世界レベル?政治は各國レベルの差がどんどん広がっていくわけですね。
悪い面を誇張すれば、2008年のリーマンショックのような世界的金融恐慌がすぐにおこりやすくなるでしょうし、世界的な貧富の格差を是正するシステムが皆無となっていく狀況であります。一國內であれば國家が政治による経済介入によってその「自由」を「規制」するかたちで、國ごとの制度上での程度の差はあれども、貧富の格差の是正がおこなわれてきたわけですが、はてさて、全世界に経済が広がり、全世界で「自由」になってしまったとき、どうなってしまうのでしょうか。