7月13日に発行された「日本僑報(bào)電子週刊」988號(hào)に、元朝日新聞?dòng)浾呱忌街甭∈悉翁貏e寄稿『2年ぶりの中國(guó)、変化の探訪』を連載しはじめた。氏は東京漢語(yǔ)角(中國(guó)語(yǔ)コーナー)にも積極的に參加されており、中國(guó)人の日本語(yǔ)作文コンクール応募作品の審査も擔(dān)當(dāng)している。日中交流への熱意と在日中國(guó)人への支援活動(dòng)を取り組んでいるジャーナリストの一人である。氏の特別寄稿一回目は「新都市の熱気」をテーマに、中國(guó)深せん市での見(jiàn)聞を記した。全文は以下の通りである。
6月、1年9カ月ぶりに中國(guó)を訪れた。前回、中國(guó)を訪れたのは2010年5月の上海萬(wàn)博開(kāi)會(huì)の9カ月前。比較的短いブランクとはいえ、この間の中國(guó)の変わりようは想像した以上に大きかった。発展が真に加速した実感といえば月並みだが、街を行く中國(guó)人の表情に自信と一種、充実感のようなものを感じた。
今回、訪れたのは、広東省の省都広州、そこから高速列車で1時(shí)間の距離にある深圳、そして2年足らず前に行った上海、さらにその上海から開(kāi)通してまだ日が淺い“高鉄”、つまり「中國(guó)新幹線」に乗って揚(yáng)子江南岸の新興工業(yè)都市、江蘇省鎮(zhèn)江、さらにその衛(wèi)星都市、丹陽(yáng)を訪ねた。
中國(guó)のなかでも、とくに経済発展著しい華南地區(qū)の珠江デルタ、揚(yáng)子江デルタの両工業(yè)地帯を一挙に訪れたことになる。なかでも深圳は前から一度、行ってみたい都市だった。思えば30年前、新聞社にいて金融を擔(dān)當(dāng)していたころ、日本の大手銀行幹部から香港の隣の何もなかった寒村が経済特區(qū)に指定され、開(kāi)発が始まっており、將來(lái)をにらんで日本企業(yè)としても関與しておきたいという話をよく聞かされた。一度自分の目で見(jiàn)てみたいと思いつつ、なかなかチャンスがなかったが、その思いが実現(xiàn)することになった。
近代的な深圳駅の建物と市民の様子。杉山直隆氏撮影
早朝、広州から乗った列車が午前9時(shí)前に深圳駅に到著したが、まだ時(shí)間が早いにもかかわらず駅前は大きな旅行スーツケースの車輪の音を響かせながら駅から出て行く人、これから列車に乗る人でかなり混雑していた。6月とはいえ華南らしい汗ばむ陽(yáng)気で、人々の服裝はTシャツ、半ズボン、女性も半そでの夏物スース、色鮮やかなブラウスに短パンという人も少なくなかった。かつての中國(guó)によく見(jiàn)られた、濃い青色、モスグリ-ン、灰色といった服裝はほとんど目にしない。