資料寫真
現代人について言えば、“遅いたそがれ”は、“なかなか訪れないたそがれの年”、という意味に改めたらいいのではないか、とわたしは思っています。
小さいころに目にした大人は、60歳の男性ならまさしく「白ひげのおじいさん」、60歳の女性なら杖をついていました。でも今、路線バスのなかで優待カードをかざすお年寄りは、きまってスポーツシューズにアウトドアルック、べらべらとおしゃべりをしながら、山登り、遠足やらと、下車する前にはつり革にぶら下がって“體力アップ”、というお年寄りも少なくありません。
さきおととしのことですが、80をすぎた父母を伴って北京に出かけました。空が白んでもまだうとうとしていると、別のコンパートメントで休んでいた父が、食堂車で牛肉ラーメンを食べようと私と母を誘いにきました。父がせわしなくドアを叩いていたので、わたしはまだ上段のベッドに橫になっていたのですが、ドアを開けようとしたところ、列車が揺れ、わたしは“実にしっかりと”床にすべり落ちてしまいました。でも、身のこなしがあまりに機敏だったからでしょうか、ドアを開けて入ってきた父は何事が起きたのかさっぱり分からない様子。眠っていた母に至っては訳がわからなかったことでしょう。わたしは自らを笑い者にするしかありませんでした。「いま落ちたのは、本當のおばあさんだった、と知ったなら」
現代人はなかなか老けません。以前、わたしはテレビニュースに登場するある人物の清々しさ、気高さに強くひかれていたのですが、突然、彼は畫面から姿を消してしまいました。彼と親しい年上の男性にたずねたのですが、そのときの、頭悩ませ心痛めるその男性の表情が深く印象に殘っています。「ええ、年になりましたから、みんな退いたのです」
では、若い人は、引退してなにをするのでしょう。実に悲しいことです。