東南アジアにおける日本のイメージ作り
日本は東南アジアにおいて、二戦時期の不名譽(yù)な歴史を持っている。ベトナム、ミャンマー、マレーシア、カンボジア、ラオス、タイ、フィリピン等の國々は全て日本戦略戦爭の被害者である。だが現(xiàn)在、東南アジア各國の日本に対する認(rèn)識において、それほど大きなマイナスイメージはない。専門家はその原因について次のように分析する。「一つは、日本が戦後數(shù)十年に渡って行ってきた東南アジアへの経済援助や投資が大きく作用している。この他、日本は東南アジアに対する文化的PRやソフトパワーの輸出に力を入れており、それが侵略戦爭のイメージを払拭するのに一役買っている。」
『環(huán)球時報』の記者は東南アジアの多くの國々で取材をした際、日本が開設(shè)した研修施設(shè)をよく目にした。日本の影響力拡大のため、そこでは無料で日本語が教えられ、現(xiàn)地の人々の日本での研修も組織されていた。日本の海外商會の中で最も規(guī)模が大きいバンコク日本商會は、會員企業(yè)數(shù)1328社で、経済活動以外に、「現(xiàn)地と日本の文化交流を組織する」という大きな役割を果たしている。記者はタイに滯在中、よく日本人に間違われ、不愉快な思いをしたが、時間の経過とともに、タイに最も大きな影響力を持つ國は確かに日本であり、その勢いは歐米諸國を遙かにしのぐものであることが分かった。
改革前、西側(cè)諸國の制裁を受けていたミャンマーだが、彼らに最も大きい援助を與えていた國の一つが日本である。ミャンマーへの數(shù)回に渡る現(xiàn)地取材の際、記者は數(shù)年前から日本がそこで頻繁に各種シンポジウムを開催したり、各階層で関係網(wǎng)の構(gòu)築を進(jìn)めたりしていることに気がついた。ミャンマーの三大都市ミッチーナは二戦中、連合軍と日軍の激戦區(qū)で、一つの仏塔を除いて全てが廃墟となった。しかし今では、日本人が建てた慰霊碑や慰霊塔が隨所に點(diǎn)在し、都市北部に位置する日本人が最後に犠牲となったいわゆる「玉砕地」には、日本人によって慰霊位牌と巨大な臥仏の寺院が建立されている。日本に留學(xué)経験のあるカシコン銀行の研究員、ピモンワン氏によれば、日本は東南アジアにおける自身のイメージ作りを重要視しており、ソフトパワーの浸透を通して、その侵略者としてのイメージから抜け出し、投資者や國際社會の友人としてのイメージを強(qiáng)くしようとしているという。