文=奧井禮喜
デンマーク王國(guó)もオランダ王國(guó)も國(guó)土面積は、小さい日本より小さくいずれも九州並み。人口は前者が558萬(wàn)人、後者が1,674萬(wàn)人である。1人當(dāng)たりGDPは前者が56,147ドル、後者が46,986ドル(日本43,000ドル)だ。
両國(guó)とも訪れてみたくなるような良い話がある?!弗钎螗蕙毳卧挕梗▋?nèi)村鑑三)と「科學(xué)者の自由な楽園」(朝永振一郎)から簡(jiǎn)単な紹介をする。
デンマークは8?11世紀(jì)にヴァイキングが大活躍した。14世紀(jì)後半最盛期だったが、17世紀(jì)以降は相次ぐ戦爭(zhēng)に敗北する。対プロイセン戦爭(zhēng)(1864)に敗北して南部のシュレスウィヒ州とホルスタイン州を割譲した。
狹小な國(guó)土、少ない國(guó)民が最良の2州を失い、殘ったのは荒漠たる土地のみという有様だった。「最悪だなあ」というのが人々の挨拶だったという。
E.M.ダグラス(當(dāng)時(shí)36歳)は工兵士官として戦爭(zhēng)に參加した。土木?地質(zhì)?植物學(xué)者でもあった。國(guó)土の大部分を占めるユトランド半島の荒地を肥沃にする企畫を考えた。ユトランドは國(guó)土の1/2以上、1/3が荒地であった。
灌漑を作り、常緑低木のヒースを駆逐し、馬鈴薯?牧草を植えた。ノルウェー産の樅の木を植えたが數(shù)年で枯れ再挑戦。アルプス産の小樅も植える。樅と小樅がうまく育つ。しかし樅はある程度成長(zhǎng)するとそれ以上伸びない。
長(zhǎng)男フレデリックも植物學(xué)者になった。彼は小樅が樅の成長(zhǎng)を邪魔しているのではないかと考え、樅がある程度成長(zhǎng)した段階で小樅を切り払った。40數(shù)年後20世紀(jì)初頭には山林が15萬(wàn)エーカーから47萬(wàn)エーカーに増えた。
植林成功によって夏期の降霜は止み、さまざまの野菜の植生が可能になった。海岸からの砂塵も防ぐことができ、砂丘増加が止まり、洪水が減った。