「外に失いしものを內において取り返すべし」。この、ダルガスの心意気を內村さんはおおいに賞賛された。1911年10月の講演だ。
朝永先生は、H.A.ローレンツがゾイデル海ダム建設に貢獻したことを知り《ゾイデル海の水防とローレンツ》を書いた。
海面より低いオランダは堤防の國である。しばしば水害に遭う。1916年北海の大きな高潮でゾイデル海周辺の堤防が破壊し、首都アムステルダム北方に大洪水被害が発生した。弱い地盤上の堤防では持たない。
政府はゾイデル海入り口をダム(約20km)で塞ぐ計畫を立てた。成功すればゾイデル海は淡水化し、灌漑用水にできる。
ゾイデル海北方はワッデン諸島が防波堤のように連なっている。島々とダムにはさまれた部分は後にワッデン海と呼ばれるが、この部分の上げ潮が甚だしく高くなる危懼がある。
政府はこの問題について第一に「科學的研究」をすべしとして、1918年ローレンツを委員長とする委員會を設置した。ローレンツは理論物理學者で電子理論?相対性理論の先駆者であり、ノーベル賞受賞者だが、土木工事の専門家ではない。副委員長は土木工學者ウォルトマンであった。
委員會は1926年11月報告書提出、結論を得るまでに8年かかった。