日本は近代以降、中國の発展にとって常に天敵だった。過去に2度重要な成長のチャンスがあったが、いずれも日本により中斷。現(xiàn)在、中國は3度目の近代化の道程に入り、34年の改革開放を経て、再び重要な時期を迎えている。今回の近代化もまた日本に阻止される可能性はあるだろうか?22日付の環(huán)球時報が伝えた。以下はその一部。
1861年、中國は2度のアヘン戦爭を経験してようやく目覚め、西側(cè)に學(xué)び始めた。「洋務(wù)新政」や「同光中興」と呼ばれる。その後數(shù)十年で中國の経済構(gòu)造は大きく変化。近代的な工業(yè)基盤が徐々に整い、新興資産階級が緩やかに成長し、中國の政治構(gòu)造、特に法律や制度に変化が現(xiàn)れ、世界に歩み寄った。まったく新しい中國が期待され、世界各國が平等な立場で中國に接する日もそう遠(yuǎn)くはなかった。
中國は自らのルールに基づき事を進(jìn)めていたが、上流階級や軍部のタカ派は敵を軽んじ、洋務(wù)運(yùn)動33年の時、既定の政策が変更され、朝鮮の將來を考慮した甲午戦爭(日本名?日清戦爭)が日本との間で起こった。たった數(shù)カ月で清軍の原形があらわになり、「同光中興」神話が跡形もなく消えた。
中國は再び三十?dāng)?shù)年の動亂を経験し、1928年にようやく統(tǒng)一を果たし、新たな近代化が開始。1928年から1937年の10年は中國の資本主義発展の「黃金期」といわれる。中國の近代化はこの間飛躍的に推進(jìn)。この10年がなければ、中國は日本と戦う底力も、世界の反ファシズム統(tǒng)一戦線の形成まで持ちこたえることもできなかった。