2月22日、日本政府が初めて、島根県の主催する「竹島の日」記念式典に內(nèi)閣府の政務(wù)官を派遣したことで、韓國(guó)と日本の竹島(韓國(guó)名:獨(dú)島)をめぐる爭(zhēng)いの火に油を注ぎ、韓日関係の改善は再び遠(yuǎn)のいた。また、これは中國(guó)の釣魚島(日本名:尖閣諸島)の領(lǐng)有権を侵害する日本の動(dòng)きに対する防衛(wèi)強(qiáng)化に警鐘を鳴らすものである。「新華ネット」が伝えた。
これまでの歴史において、斷るごとに実力行使で、他國(guó)に領(lǐng)土の変更を強(qiáng)制的に迫ってきたのは、他でもなく日本である。
1895年、日本の明治政府は釣魚島は特定の領(lǐng)主の定まらない土地、いわゆる「無(wú)主地」であるとの妄言を振り回し、現(xiàn)地に標(biāo)杭を建設(shè)する閣議決定を行い、正式に日本の領(lǐng)土に編入した。
2015年は日本が島を盜んでから120年の節(jié)目で、「尖閣の日」なんていうものを設(shè)ける可能性もあり、中國(guó)としては十分に警戒する必要がある。
メディアの報(bào)道によると、政府が「奄美?琉球」の世界自然遺産への登録を目指していることに関連し、沖縄県石垣市は2月3日、釣魚島を遺産登録の対象地域に含めるよう國(guó)に求めるとともに、登録に向けた現(xiàn)地調(diào)査を?qū)g施することを訴えた。日本が一體何を企んでいるのか、誰(shuí)の目にも明らかである。