ソ連がチェコに侵入した際、チェコ民衆の抵抗は「知的に憎悪せよ」(hate intelligently)という作戦だったそうだ。
検閲下、自由に主張できないなかでの抵抗の一つ、「信愛なるお友だち、私たちを助けに來てくれてありがとう。あなた方のお陰で資本主義の復活を目論む連中の黒い正體が暴露されました。」
これはチェコ共産黨青年同盟機関紙ムラダ?フロントに、トラクトディティル工場で働く少女グループがソ連兵士に宛てた手紙であるとして掲載された。同工場は、どこにも存在しなかった。苦い笑いを呼ぶ。
「安倍さん、私たち國民の政治音癡?歴史音癡がいかに酷いものか教えてくれてありがとう。お陰で、獨立の本當の意味がわかりました。」
サンフランシスコ(対日)講和條約と日米安保條約が締結されたのは1951年9月8日、発効が翌1952年4月28日。戦後の6年余にわたる占領が終わった。そこで今年、4月28日に主権回復記念式典を挙行するとか。
その日、頭上の雲が晴れ、一億國民は狂喜亂舞した----のではなかった。祝講和の提燈を吊るし、客を當て込み、シャンペンを大量に買い込んだバーもあったが、全然盛り上がらずさっぱり。外務省では全職員が広場に參集し、青空の下、冷酒とスルメで乾杯したそうだが、全國的に靜かだった。
講和は米國を中心とする片面講和であった。戦後冷戦を主導した米國が対日占領政策を180度転換し、おりから勃発した朝鮮戦爭を背景に、國際的反共體制に組み入れる戦略で進められた。