それもいうなら、まず大日本帝國憲法(舊憲法)が國民の意志などまったく無視して、お抱え外國人に手伝ってもらって、現人神から下しおかれたことを知らねばならない。かつ、舊憲法には國民は不在、臣民のみが存在した。
舊憲法下で、わが國は日清戦爭(1894~1895)を前後して、大陸への侵略戦爭を開始した。舊憲法はまったく軍國主義國家の基盤である。もう一つの顔は、國家権力に対する國民の批判を徹底的に弾圧した國家主義であった。
國家主義は、人間社會における最大絶対価値を國家とする。その旗下で、日本的イデオロギー、八紘一宇が喧伝され、頑迷?偏狹?獨善的な民族主義?國粋主義が支配する不気味な國家に育ったのである。
新憲法制定の経緯が、一般國民にわかるようになったのは1955年頃である。もとより憲法制定前、國民的?大々的に論議されてはいない。「基本的人権」というような言葉が浸透するために時間を必要としたのは事実である。
占領下であろうと、ポツダム憲法と揶揄されようと、新憲法で人間としての権利を獲得し、平和の尊さ、ありがたみを痛感したのである。舊憲法との違いに戸惑いがあったとしても、文句をつける筋合いは全然なかった。
時間が流れて、憲法を必要において改正することはありうる。ただし、憲法の基本的精神を後退させるようなことは改悪であるから、改正論としてふさわしくない。たとえば、自民黨改憲草案をみると、
前文を書き直し、「日本國民は、帰屬する國や社會を愛情と責任感と気概をもって自ら支える責務を共有し」云々とある。基本的人権を基盤とする民主主義においては、各人が主體的に國に參加するのであって、これは押し付け的お説教である。
かつて、中曽根康弘氏が自民黨を「國家に忠誠?國民に愛情」の黨と表現した。民主主義の政黨は、「國民に忠誠?國家に愛情」でなければならない。「國家主義」への傾斜が表現されているとみる所以である。憲法の精神を尊重するのであれば、草案の前文は歴史的逆行である。