自民黨は、日本國憲法が米國の押し付けだというが、それは逆恨みというものである。押し付け批判をするのであれば、ポツダム宣言を受諾して全面降伏した歴史を否定するのと等しい。國際的公約(歴史)を否定できない。
無謀な15年戦爭を推進した日本を民主國家に変えることは、米國のみの意向ではなく、連合國全體の一致した主張であった。
敗戦當時、日本の指導(dǎo)者たちは、國體護持(天皇制維持であって國民護持ではない)にしか関心がなかった。もし、日本が戦前天皇制をそのまま殘そうとするのであれば、連合國は降伏を認めなかったであろう。
日本が降伏後、戦前天皇制に徹底的に拘れば、連合國は天皇の戦爭責(zé)任を徹底追及したであろうし、戦後の象徴天皇制ではなく、それこそ國家共和制を押し付けてきたであろうことが容易に推測できる。
そもそも、押し付け論をいうのであれば、敗戦までの大日本帝國憲法こそが、その典型である。圧倒的多數(shù)の國民の無知蒙昧に便乗して、伊藤博文ら數(shù)人がお雇い外國人と相談して作って押し付けたではないか。
大日本帝國憲法には國民が存在せず、臣民のみが存在した。國民の自由など存在せず。臣民における自由とは言葉のペテンであって、體制?権力に不都合な言論?行動を徹底弾圧したのである。
だから、かの15年戦爭は、大日本帝國憲法の押し付けによって招いた大愚である。自民黨の諸君らは日本國憲法の押し付け論以前に、大日本帝國憲法の押し付けを痛切に反省し、勉強し直さねば、真っ當な政治家たりえない。
明治維新當時、世界の潮流はすでに民主主義の方向へ確実に歩んでいた。にもかかわらず數(shù)世紀前の君権神授説を引っ張り出し、のみならずさらに神がかりなものにして、近代日本の精神事情を逆行させたのである。