日本は戦爭(zhēng)の野心を捨てよ 甲午戦爭(zhēng)120周年に寄せて(一)
それから、甲午戦爭(zhēng)は日本の「弱い者いじめ」の歪んだ変態(tài)心理を育んだ。自分が強(qiáng)くなりさえすれば、好き勝手に振る舞えるというのだ。この歪んだ変態(tài)心理を持つのが個(gè)人であれば勝手に自滅するだろうが、これを持つのが日本という國ならば、最終的に國の未來を失い、永遠(yuǎn)に歴史に唾棄される「敗戦國」の身分を背負(fù)わなければならない。日本は甲午戦爭(zhēng)で、かつて権勢(shì)を誇った清朝を打ち負(fù)かした。その後の日本は「アジアの優(yōu)等生」を自負(fù)し、中國や朝鮮などを見下した。その後まもなくして勃発した日露戦爭(zhēng)で、日本は列強(qiáng)の一國であるロシアを幸運(yùn)にも打ち負(fù)かした。これは日本の「弱い者いじめ」の思い上がりを助長した。2回の軍事的な危険行為で「勝利」を収めたことで、日本は絶対的な力を手にすれば、周辺の弱小國をいじめることができ、世界の「覇者」になることさえできると感じた。弱肉強(qiáng)食は自然の法則、當(dāng)然のことであり、他國は口を挾むべきではないというのだ。
現(xiàn)在の安倍政権は弱い者いじめという美しい夢(mèng)を見続けている。安倍首相は、強(qiáng)力な軍隊(duì)、優(yōu)れた武器、ハイテク兵器などを持てば、他國を押さえつけ征服した日本のかつての「潛在力」を引き出せると考えている。そのために日本は米國からのさまざまな圧力を受けながらも、長年溜め込んできた敏感な核燃料を使い、核兵器を「臨機(jī)応変」に利用しようとしている。
甲午戦爭(zhēng)(後の日露戦爭(zhēng)も)で、日本は狡猾で博徒じみた冒険、軍事至上主義などのコピーできない偶然的要素によって勝利した。當(dāng)時(shí)の歴史?地理?國際情勢(shì)を、現(xiàn)代で再びコピーすることはできない。日本の第二次世界大戦の敗戦はこれを証明している。甲午戦爭(zhēng)と日露戦爭(zhēng)の偶然の勝利は、世界の正義ある反ファシズム戦爭(zhēng)でコピーすることはできない。當(dāng)然ながら、今日のアジアや世界でコピーすることもできない。
安倍首相などの、日本の右翼勢(shì)力は、甲午戦爭(zhēng)のいわゆる「機(jī)運(yùn)」を再現(xiàn)しようとしているが、これは非現(xiàn)実的で馬鹿げた考えだ。今日の日本は、軍事冒険?軍事至上主義の日本をそっくりそのままコピーすることができなくなったからだ。軍事冒険主義にせよ、軍事至上主義にせよ、それを?qū)g現(xiàn)する客観的な條件が失われている。安倍首相などの右翼勢(shì)力は一か八かの勝負(fù)に出ようとするかもしれないが、今日の中國の実力、19世紀(jì)末の國際情勢(shì)より數(shù)十倍も複雑な今日の世界情勢(shì)は、甲午戦爭(zhēng)を再現(xiàn)しようとする「執(zhí)著」を完全に斷ち切らせるだろう。(筆者:厖中鵬 中國社會(huì)科學(xué)院日本研究所の學(xué)者)
「中國網(wǎng)日本語版(チャイナネット)」2014年6月5日