宋氏は血塗られた歴史を振り返り、「1937年12月13日、日本軍は南京城を攻略し、殘忍な手段により寸鉄も帯びていない一般人を始末した。彼らは中國人の體にガソリンを撒き、さらに銃弾で引火させた。中國人の首を斬り落とし、銃にかけて笑っていた。多くの女性が蹂躙されてから殺害され、8?9歳の幼女、70歳以上の老婆も死を免れなかった」と未だに憤りを隠せない様子だ。
「朝日新聞は日本の中國侵略戦爭の最大の提燈持ちで、南京大虐殺中の日本軍の暴行を詳細に記載している」宋氏は1937年12月の新聞を手にし、その內容について説明した。黃ばんだ新聞の字は読みにくくなっているが、歴史の重苦しい悲壯感を與える。「日本の右翼分子は南京大虐殺を否定しているが、朝日新聞には網に漏れた鉄の証拠が掲載されている。一つの記事の中だけでも、8?9萬人の遺體が捨てられたとされている。40數日に渡る非人道的な大虐殺で、30數萬人が殺されたことが噓であるはずがない」ここまで語ると、宋氏は気持ちを高ぶらせた。
歴史を記憶にとどめることは、人類共通の責任だ。日本の軍國主義による非人道的な罪を明らかにするため、中國政府はこのほど南京大虐殺の資料を、ユネスコの世界記憶遺産に登録申請した。これを受け、日本の右翼分子はおとなしく座っていられなくなった。安倍首相らは、中國の登録申請が「政治目的によるもの」と妄言を吐いており、「具體的な死亡者數に疑問が殘る」ことを理由に、中國に申請撤回を求めてきた。加害者は謝罪を拒絶したばかりか、被害者が真相を発表することを認めようとしていない。この上ない恥知らずと言わざるをえない。
日本のこのような強盜の論理は、なにも意外なことではない。1970?80年代より、石原慎太郎氏、中山成彬氏、鈴木明氏などが文章、演説、歴史教科書の書き換えなどにより、虐殺の暴行を巡り言い逃れを続けてきた。日本國內では今日、侵略の歴史の否定と美化が一つの流れになっており、上は安倍首相が靖國神社を參拝し、下は右翼分子が靖國神社の門前でデモ行進をしている。彼らはメディアの操作により、南京大虐殺を否定する噓の宣伝を強化し、世界の公理を脅かそうとしている。これはアジア諸國の強い反発を招いた。
歴史の事実が言い訳によって隠されることはない。1937年12月13日付けの東京日日新聞は「紫金山」に関する記事の中で、「1937年12月、日本軍の向井少尉と野田少尉は百人斬りの試合を行った。野田少尉は105人、向井少尉は106人を殺した。どちらが先に百人斬りを達成したかは不明で、勝負はつかなかった。そこで二人はどちらが先に150人の中國人を殺せるかを賭け、競爭を再開した」と伝えた。戦後この記事は極東軍事裁判に提出された証拠となり、日本側もその真実性を認めないわけにはいかなかった。
日本は「正常な國」、「政治大國」になるという戦略目標を実現するため、良好な國際イメージを樹立しようと苦心している。しかし歴史を正視しようとせず、かつて侵略戦爭を仕掛けた軍國主義と一線を畫することができなければ、日本はアジアの隣國と國際社會に信頼されることはない。墨で書いた噓は、血塗られた歴史を消せないことを知るべきだ。
「中國網日本語版(チャイナネット)」2014年6月23日