歩平氏によると、ドイツの戦後の反省は主に2つの點に集中している。一つはナチスの政権奪取、もう一つはユダヤ人の大虐殺である。戦後初期から60年代頃まではそうした問題についての聲はドイツ社會では必ずしも主流ではなく、戦爭で自らが被った苦しみの方が先立っていた。1960年代中頃に主に3つの方向から変化が起こった。第一に司法の世界からナチスの責任を追及する聲が上がった。第二に知識人が戦爭責任について深く考え始めた。第三に若い世代が獨自の思考を展開し始めた。この3つの動きが社會の変化をもたらし、1970年にはブラント首相がワルシャワ?ゲットーの記念碑で跪くこととなった。歴史の反省はこうしてゆっくりと社會に受け入れられていった。
ドイツのベルリンなどの都市では2013年、戦爭を回顧する活動が約500回にわたって開かれた。ドイツを訪問中だった歩平氏の友人の一人も、ナチスの政権奪取後にドイツの中國學者が受けた迫害についての展覧會を開いた。この友人によると、こうした展覧會を開催するのはドイツが目覚めているからでは決してないという。社會にまだ歴史に逆行する流れが根強いが故に、こうした流れとは斷固として戦わなければならないのだという。
「日本社會にもそのような戦いはあるし、誰もが同じ意見になびいているわけではない」と歩平氏は指摘する。戦後の初期には、日本もドイツと似たような狀況を経験した。1950年代半ばになると、日本の知識人が、なぜ當時戦爭を支持してしまったかを真剣に考え始め、「悔恨共同體」というスローガンが生まれた。だがこれらは日本を被害者の立場に置くものであった。1960年代半ばからは、米國のベトナム戦爭に対する世界的な反対運動が起こり、一部の日本人もこれに従って第二次大戦の加害者としての自身を反省し始めた。
「私は戦爭が嫌いです。日本がこれほど長い間、この侵略の歴史を完全に反省できていないことを考えると、平和を愛する隣國の人々に申し訳ない思いになります」。日本の「村山談話を継承し発展させる會」のメンバーの川浪壽見子さんの心からの言葉である。この老人の言葉は、正しい認識を持つ數多くの日本人の聲を表している。ドイツ人は戦爭に負けてから國を挙げてナチスドイツの歴史を反省し、周辺の隣國とともに歴史教科書を作ったが、これこそ歴史に直面する模範だと考えている。
世界的に有名なドイツの経営學専門家、ヘルマン?サイモン氏(コンサルティング會社「サイモン?クチャー」會長)は、歴史に向き合うための唯一の可能で持続的な態度は心からの反省を示すことだけだと考えている。「私は戦後の1947年生まれだが、ドイツ人として負うべき責任と罪を否定したことはない。戦爭の罪はごく少數の戦爭犯罪者にあるのではなく、実際には多くの人がこれにかかわっていた。そのためドイツ民族全體がその責任を負うべきであり、実際にそうしている」
「中國網日本語版(チャイナネット)」 2015年6月12日