最近、日本のテレビのインタビューで『中國で成功なされた矢野さん』というふうに言って頂ける。“成功”というのはいったい何なのだろうか?
途中経過での成功であれば、簡単ではないが不可能でもない。
本當の意味での成功というのは、最後の最後に“最高の自分”と言える狀態でいることかもしれない。
だから今の自分が以前よりも進歩した、現時點での“最高の自分”でいなければならない。だから今『成功されて~~』と言われると、正直、中國語で言えば
“這些都是不靠譜的東西 (これらはあてにならないもの)”と思ってしまう。
私が今素直に『お前よくやった!』と思えるのはこの11年、中國で定住しながら今日までやってこれたこと。
じつは最近、短期的に中國で活動する日本人の方々も増えてきた。
さまざまな方々が中國へ日本を発信し、日本へ中國を発信する。素晴らしいことではある。しかし、どこの國でもそうだが、他國の生の実情を知るにはやはり実際に生活しないと無理であろう。特に中國人は肩書きではなく、人と人との真のコミュニケーションを重んじる。彼らは政治は政治、民間は民間として真剣に付き合う。正直に言えば表向きの文化交流では何も成し得ない。
本當の中國を知るには一から、つまり?電気カード?を自分で買いに(“買電”中國の特に北の北京を中心としたところは、電気カードがあって、電気を銀行で買う。)行くような経験を積んでいかないと、生活に密著した生の中國など知ることはできないのだ。
何も知らない、何も話せない人間は発信する力すら持てない。私は自身の経験を通してそう実感している。