「黨の少數民族自治區に対する政策は少數民族の権利と利益を保障している。」我國第一の少數民族自治區である內蒙古自治區がその成立60周年を迎えた際、最後の諸侯である奇忠義氏は新華社記者のインタビューを受けて以上のように答えた。
奇忠義氏は1927年生まれで、チンギス?ハンの34代目の直系の子孫である。1949年6月、奇忠義氏は舊イヘジョー?アイマク(現在のオルドス市)?郡王旗(現在の伊金霍洛旗)の長となり、最後の蒙古の諸侯ともなった。1949年8月5日、奇忠義氏は人々を集めて會合を開き、郡王旗の全ての軍政人員は平和的に共産黨側につくことを宣言した。1949年10月1日新中國が成立した後、奇忠義氏は次々とイヘジョー?アイマクの民政処処長?副盟長?政協副主席を歴任し、1988年には內蒙古自治區政治協商會議副主席に選ばれ、退職に至った。
4月27日午前、記者は內蒙古醫院の幹部用病室でインタビューを行った。80歳の奇忠義氏は肺や心臓?緑內障?白內障など多くの病気を患い、病室のベッドに橫になっていたが、ごく普通の溫厚な老人のようであった。
奇忠義氏は沒落した封建諸侯から一般人のために働く立場となり、その経歴は非常に特殊である。
彼は共産黨の指導の元でこそ、少數民族の権利と利益ははじめて真に守られるということを深く理解していた。中國が行っている少數民族地區の自治政策については、「いかなる民族の歴史上でも行われたことのないことだ。中國共産黨が56の少數民族を率いて共に偉大なる壯挙を成し遂げたのだ。」と彼は言っている。
奇忠義氏は言う。「我國は少數民族地區の自治政策を行い、彼らの政治的権利を保障した。全國レベルから內蒙古自治區、更には盟?市?旗?県(それぞれ內蒙古の行政単位)に至るまで少數民族は幹部として重用され、彼らは自己の自分の権限を持ち、自主的に地元の経済や社會を発展させることができる。」
「少數民族地區の自治政策を実行するには、彼らの文化的発展を守らなければならない。」奇忠義氏が言うには、「私の故郷はここ數年非常に速く発展しているが、文明という基礎なしには不可能なことだ。過去には経済発展にばかりこだわり、文明の保護をおろそかにしてきた。私はイヘジョー?アイマクにいた頃、『イヘジョー?アイマク地方誌』の編集を主宰した。これは內蒙古初のことであり、多くの幹部たちはみな賞賛してくれた。」
「チャイナネット」2007/07/05
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