資料寫真:困っている菅直人首相
2011年の新年が迎えられ、日本がどこもかしこも正月の賑わいを見せる中、菅直人首相率いる民主黨だけは悶々としていた。
小沢一郎氏との內亂は決著が付かず、救いの手だった連立政権の要請も拒否され、悲慘な支持率は日々最低記録を更新している…「新しい年が來れば新しい風が吹く」という言葉も民主黨には何の役にも立たない。菅直人政権と民主黨は心に思い荷物を抱えたまま2011年を迎えることになった。
黨の分裂に繋がる小沢問題悪化
政権の汚點である「政治とカネ」問題を終わらせるために、民主黨幹部は小沢氏の衆院政治倫理審査會(以下政倫審)への出席を再三にわたって求めたが、小沢氏は頑なに拒否していた。
12月27日、民主黨は役員會を開き、來年1月の通常國會の開會までに、小沢氏の政倫審への招致について黨として議決することを決めた。菅首相は、もし小沢氏が政倫審への出席を拒否すれば、「出処進退」に関わると言及した。
民主黨內での反小沢派と親小沢派の全面戦爭は一觸即発の狀態で、このままでは黨の分裂は時間の問題である。
「條件付」投降 ただでは負けない小沢
誰もが民主黨の「內戦」激化を覚悟した時、流れは突然変わった。12月28日、小沢氏は政倫審に出席し、自ら説明責任を果たす意向を表明した。
小沢氏が態度を軟化させた背景には、黨內からの「離黨勧告」という強制的な圧力があったからだと専門家は言う。
しかし、小沢氏は「無條件」で負けを認めたわけではない。彼は政倫審に出席する時期について條件を出している。報道によると、小沢氏は野黨が要求している仙谷官房長官の更迭を出席の前提條件とした?!竾鴷徸hが円滑に進む」事を「國會開會中の出席」の條件にして、「反小沢」急先鋒である仙谷官房長官の排除を菅首相に要求した形になった。
修羅場を脫したわけではない