『日本青書:日本研究報(bào)告(2014)』発表會(huì)が先日北京で開催された。今回のシンポジウムは2013年の日本の政治情勢(shì)、安全保障政策、対外関係、経済?社會(huì)などについて振り返り、分析を行った。また、釣魚島(日本名?尖閣諸島)の領(lǐng)有権爭(zhēng)いの激化を背景とする中日関係などの問(wèn)題を重點(diǎn)に全面的な議論を行った。人民網(wǎng)は報(bào)告の編集長(zhǎng)を務(wù)めた中國(guó)社會(huì)科學(xué)院日本研究所の李薇所長(zhǎng)、副編集長(zhǎng)を務(wù)めた楊伯江副所長(zhǎng)を招き、読み解いてもらった。
安倍氏は首相就任から1年足らずでASEAN10カ國(guó)を全て訪問(wèn)し、戦後日本の東南アジア外交の歴史的記録を打ち立てた。楊氏は次のように総括した。
2013年の日本外交はASEAN外交に始まり、ASEAN外交に終ったと言える。ASEANが日本と緊密な関係を結(jié)ぶことのできる理由は、主に2つある。
第1に、日本に対する歴史的記憶は東南アジア諸國(guó)と北東アジア地域で多少異なる。どちらも日本の侵略の対象だったが、北東アジア地域に対する日本の侵略は東南アジアに対するものを遙かに上回った。日本は朝鮮半島に対して35年間の植民地支配を行い、文化的に朝鮮民族を斷絶させ、いわゆる「創(chuàng)世改姓」というむごい手段を?qū)g施した。日本は中國(guó)に対して9?18事変(満州事変)以降14年間侵略を行った。一方、東南アジアへの侵略が現(xiàn)地民衆(zhòng)に與えた印象は往々にして、後から來(lái)た日本が白人統(tǒng)治者の蹄鉄下から彼らを解放したというものだ。しかも日本による侵略の期間は比較的短く、統(tǒng)治から間もなくして敗戦、撤退した。