(前回からの続き)
このようにして「身體特性」と「屬性」をとらえますと、「屬性」には、ある一定の信頼のおける「合意ある統一評価基準」がありそうですから市場メカニズムが働きそうな気がしますね。では一方で、「身體特性」については、どうでしょうか??
さて、僕は、生物的に男性でありますから、異性は必然的に女性ということになります。僕が女性について思うことは、日本人の女性の「身體特性」について、漠然と親近感を覚えます。また、例えば歐米アングロサクソン系またはネグロイド系の女性の「身體特性」について、日本人のそれよりも親近感が弱いように思います。そんな僕の個人的感覚から、演繹するのは、甚だ傲慢かつ危険なロジックとなりますが、友人たちの少なくない意見もふまえて表現すれば、日本人からみて中國人の「身體特性」に親近感を覚える方は少なくないようですね。
もっと、情緒的に表現すれば、他の國の女性の方での割合よりも、中國人女性の方での割合のほうが「大変美しい方」と感じることが、僕は多いような気がします。つまり、中國人女性の方に上記の親近感を覚えることが數ではなく割合として多いような気がします。
また、「身體特性」は、生物の種の保存としてのメカニズムが働いていますから、美意識という曖昧なものではなく、最も平均的で、最も中間的で、最も一般的な、「身體特性」を「かっこいい」とか「綺麗」とするということですね。複雑になるのでラマルク的進化、ダーウィン的進化の議論は今回はスルーします(非常に面白い議論なんですけどね)。
それでは、話が大きなところに行ってしまわないうちに、まとめたいとおもいます!
「親密な異性交流」の価値交換において、「屬性」というものが、ミクロ経済的國際化、國家間マクロ的経済格差の低減、によって評価基準が統一的になり、市場メカニズムがボーダレスに働くようになりました。
そして、もうひとつの側面である「身體特性」の市場メカニズムの形成によって、主たる2つの要素の評価基準が達成され、「親密な異性交流」交換市場がこれをもって完成しそうです。