?それでも、日本に留學するべきか??。目下、中國の一部の學生や父兄、留學斡旋業者は、この問題について議論している。結論を急ぐ必要はないのだから、その判斷を下す前に、中國人留學生の発展の歴史の一端を振り返ってみたい。
中國人留學生の歴史を見れば、まず近代では、日清戦爭後のかなりの期間に、大量の中國人留學生が日本に流れ込んだ。彼らは敗戦の痛みを胸に抱きつつ、明治維新後の日本の臺頭を支えた政治的、経済的、軍事的、文化的な経験を學ぼうと志し、短期集中的な學びを通じて、祖國を強くしたいと考えていた。それが、後の辛亥革命や五?四運動、ひいては、中國共産黨創設など、中國社會の一連の劇的な変革に、強い日本的要素が含まれることに繋がった。陳獨秀、李大釗という、中國共産黨の創始者二人も、かつて日本への留學生だった。國民黨?共産黨両黨の指導者には、日本に留學した人が少なくない。
中國の現代史を見てみれば、中國人學生が、日本に対して恐れや憎しみ、拒絶を感じるというのは、1930年代の日本による対中侵略戦爭に始まったものであろう。當時、大勢の中國人留學生が憤然として日本から帰國し、中國社會においても、初めて、?中國人は日本に留學するべきか??との大議論が出現し、多くの中國人學生が日本への留學を拒否した。
続いて、中華人民共和國成立後の歴史を見てみると、改革解放の畫期的な象徴の1つが、國の門戸を開くことであり、公費や私費での海外留學が許可され、日本は再び中國人學生が注目する留學先になった。そして、日本は、米國と共に中國人の海外留學の2大目的國の1つとなり、何萬人もの學生達が日本に學び、壯大な規模に発展した。
このことから分かるのは、中國人は、日本が臺頭した時期には日本留學を希望する、日本が中國を侵略した時期には日本留學を拒否する。そして、戦後に日本が復興し、中國が國の門戸を開いた改革開放の時には、再び、中國人は日本を経済面での見本として研究し、日本留學のブームが沸き起こったのである。